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豊年祭の季節−「台湾原住民」の祭りを訪ねて

『な〜るほど・ザ・台湾』観光最新情報 2008年8月号掲載

暑くて長い台湾の夏、台湾東部では「台湾原住民」(先住民)の豊年祭が各地で行われる。
収穫を祝い来年の豊作を祈る、この年に一度の祭典を訪れるのは胸に響く体験だ。
今回はいくつかの部族の伝統文化とともに紹介する。

パイワン族

 パイワン族は台湾南部に暮らす部族である。居住範囲は広く、屏東県と台東県にまたがっている。多くの集落が日本統治時代に山を下り、平地に定住している関係で、祭典は故郷を離れ、現在の地にやってきた日を選んで行われることが多い。最近では「聯合祭」と呼ばれる大規模な祭りも行われるが、基本的には集落ごとに催されている。規模は小さく、長である頭目を中心に20名ほどが集まるばかり。近隣の集落から駆けつける来賓を含めても30名に満たないことが多い。

 祭りの日の朝は早い。まずは頭目の家に長老たちが集まり、祖先に1年の出来事を報告する。パイワン族の社会は貴族と平民の2階級に分かれている。この儀式に参加できるのは貴族階級のみ。儀式は厳かに進められ、祈祷師や頭目が唱える言葉の一句一句に、その場の空気が微妙に変わっていく。なお、この祈祷は「バリシ」と呼ばれ、祈祷師は頭目に次ぐ特別な地位に置かれている。

 それが終わると、今度はアワで作られた自家製酒がふるまわれる。中国語では「小米酒」と表記されるこのお酒、パイワン族の場合は飲み方が独特だ。彼らが守護神として崇める「百歩蛇」をモチーフにした木の器で飲むのだが、飲み口が2つあり、2人が並んで一気に飲み干す。まずは頭目からはじまり、長老へと続く。タイミングを合わせるのが難しいが、味のほうは甘さと酸味がほどよく調和していて絶品だ。後味もさっぱりしている。

 パイワン族の踊りの特色は、スローテンポな曲に合わせながら、優雅に踊ること。歌は1人の女性が先導し、それに続いてみんながリズムをとる。まだ歌を上手に唄えない子供は、時に厳しく、時には優しく、伝統歌謡を教え込まれる。

 昼過ぎには宴席が設けられる。ここで出されるのはパイワン族特有の伝統料理。なかでも「チナブ」と呼ばれるパイワン風のちまきは格別な味わい。月桃の葉で包まれており、具には豚肉や豚の血を固めたものが入っている。もちろん、すべてが手作り。見逃したくない味覚だ。

プユマ族

 台東付近に暮らすプユマ族は、厳格な教育制度で知られる。この部族は、南王(プユマ)村と知本(カティプル)村の2大勢力に分かれる。彼らはこの時期、収穫祭を挙行する。言うまでもなく、これは狩猟民族である彼らが、先祖と神に収穫を感謝するものである。祭典はバラクワンと呼ばれる部族の集会場で行われる。

 収穫祭(プユマ族は豊年祭とは言わず、収穫祭と呼ぶ)の前、少年たちは集会所に集められ、そこで共同生活を営んで、精神的な結束を高めていく。そして、長老たちが厳しく部族のしきたりや礼儀作法を教え込む。この空間は女人禁制であり、いかなる例外も許されない。また、彼らは年齢による上下関係がはっきりとした部族でもある。そのためか、祭りの準備に走り回っているのはすべて少年たちだ。

 収穫祭は頭目の高らかな宣誓で始まる。最初は男性だけが踊り、あとから女性が加わる。プユマ族はアミ族と並んで歌を愛する部族である。のびやかな歌声が周囲に響き渡る。彼らの歌声は独特のリズムで、印象に残るメロディが多い。プユマ族は「阿妹」こと張恵妹をはじめ、数多くの歌手を輩出しているが、祭りに参加すれば、その歌声の素晴らしさに感動を覚えること、間違いない。

 パイワン族と同様、プユマ族の人々もちまきを食べる。パイワン族はこれを「チナブ」と呼んでいるが、ここでは「アヴァイ」と呼ぶ。これは非常食であり、携帯食でもある。男が山に狩猟へ出るときは、女は必ずこれを持たせ、道中の安全を祈るのだそうだ。

アミ族

 アミ族は花蓮県と台東県、そして屏東県の一部に暮らす人々。台湾の原住民族のなかでは最大の人口を誇る。豊年祭は「ミリスィン」と呼ばれ、集落ごとに行われるのが普通。会場は普段は農作業を行うための屋根付き集積場ということが多い。会場そのものに特別な雰囲気はないが、暑さが厳しいので、日陰はなんともありがたい。ここに限らず、豊年祭を訪問する際には、日射病や日焼け対策が必要だ。

 アミ族の民族衣装は赤を基調としていることが多い。普段は現代化された暮らしをしている人々だが、ミリスィンの時だけは伝統的な衣装をまとい、竹や葉で作られた器を用いて食事をとる。料理もイノシシの肉や野草が用いられ、伝統的な調理法に従って作られる。どれも素朴な味わいだ。なお、アミ族はパイワン族やプユマ族とは異なり、アワ酒を飲むことは多くない。ビールがかなり一般的に飲まれている。

 なお、ミリスィンは花蓮県政府と台東県政府、そして、東部海岸国家風景区が全体を管理しており、観光客の訪問に便宜を図っている。スケジュールは東部海岸国家風景区のウェブサイトで確認できる。基本的には7月初旬に台東県南部の集落から始まり、時期とともに北上していく。そして、最後は8月末に花蓮市付近の集落で今年のミリスィンは終わる。

アタヤル(タイヤル)族

 アタヤル(タイヤル)族は台湾北部に居住する山の民である。古くから勇敢さで知られ、秀でた狩猟能力を発揮してきた人々である。武勇を尊ぶ気質は現代にも受け継がれ、原住民族の中でも際だった個性を放ってきた。

 しかしながら、その居住地が台北や台中といった都市部に近かったため、商業文化の波に呑まれてしまったという印象も否めない。烏来のように、観光地となった土地を筆頭に、独自の伝統文化は廃れていった。夏に行われてきた祭典も、取りやめてしまったところが少なくなかった。

 それでも、部族の伝統文化を復活させようと、廃れてしまった「祖霊祭」を復活させているところもある。宜蘭県の山岳部に位置するいくつかの集落では、長老を中心にして、踊りや歌を練習している。アタヤル族は「ガガ」と呼ばれる独自のしきたりを重視し、これが社会規範になっていた。ガガは人格形成にも大きく影響を与えるが、祖先を敬うことが最も重要なこととされている。祖霊祭は、その字が示すように、祖先の霊を祀ることを目的としている。祭りは幼い子供たちから少年少女、婦人会の踊りへと続き、最後に成人した男子による踊りとなる。男たちは大きな声で祖先を敬愛する言葉を空に向かって放つ。その様子は、失いかけた自らの文化を呼び戻そうとしているかのようである。

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