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壮麗を極めた英国風官庁建築

旧台湾総督府専売局

『な〜るほど・ザ・台湾』台北風まかせ 掲載

 

 赤煉瓦造りの瀟洒な官庁建築。英国風の雰囲気をまとったこの建物は、台北市内に残る日本統治時代の建築物の中でも、指折りの美しさと評される西洋建築である。

 この建物はオフィスとしては3階建てだが、中央の尖塔はさらに3階分の高さを抱いている。竣工は1922年。建物の両翼は1913年に完成しており、この時から使用されている。つまり、10年近くも工事中の状態が続いたことになる。中央に尖塔を擁することは、威容を強調した当時の官庁建築によく見られる手法である。ここだけでなく、旧台湾総督府(現総統府)、旧台北高等法院(現司法大廈)など、その例は枚挙に暇がない。

 台湾総督府が専売局を成立させたのは1901年のこと。周知のように、民政局長(当時)だった後藤新平の発案によって、アヘンや酒、タバコ、塩、そして樟脳などが総督府の専売となった。その後、この制度が総督府の大きな財源となっていったのは、もはや説明を要さないことであろう。

 台湾総督府の財源確保に大きく貢献した専売制度だが、それを司るこの建物には壮麗さを極めたデザインが求められた。設計を担当したのは森山松之助。建物は赤煉瓦の外壁に白い花崗岩が縞模様のように入っている。これはいわゆる「辰野式」と呼ばれるスタイルである。ちなみに、森山は東京駅の設計者として知られる辰野金吾の愛弟子だった。

 館内に足を踏み入れてみると、正面ホールは吹き抜けとなっている。白く塗られた壁面が美しく、中央と両脇に階段が伸びている。館内の各部屋は天井が3メートルという高さを誇っていた。さらに、階段部の装飾などを含め、建物全体として、空間的な余裕が強調されているのがわかる。

 この建物は児玉町と呼ばれる地区にあった。この町名は言うまでもなく、第四代台湾総督の児玉源太郎にちなんでいる。その児玉町の玄関口にあたるのがこの建物だった。住民の大半は、当時内地人と呼ばれていた日本人だった。しかし、戦後は日本人の引き揚げと同時に、中国大陸からやってきた人々によって占拠されることとなった。つまり、この地域は、戦前戦後を問わず、台湾土着の人々が絡むことがないままで現在に至ってしまったのである。

 現存はしないが、この建物の裏手には樟脳の工場があったという。昭和時代を迎えるまで、樟脳はセルロイドや医薬品原料として用いられ、台湾の特産品として世界に知られていた。大正期にドイツで合成樟脳が開発され、台湾の樟脳は徐々に衰微していったが、それでも塗料溶剤や香料、医薬品、選鉱油など幅広い用途が開発され、日本の化学工業の興隆を支えた。ちなみにこれらの使用法はほとんどが日本で発明されたものであったという。

 現在、この建物は日本統治時代の専売局を受け継いだ公売局の民営化により、台湾?酒股?有限公司となっている。国定古蹟の扱いを受け、保存が決まっているが、すぐわきに総統官邸がある関係で、常に警備体制が敷かれている。撮影の際には注意しよう。

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