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帝冠様式の司法機関

司法大厦(旧台湾総督府高等法院)

『な〜るほど・ザ・台湾』台北風まかせ 2007年11月号掲載

 旧台湾総督府の南隣りに位置するどっしりとした建物である。この建物は「司法大厦」と呼ばれている庁舎で、日本統治時代に台湾総督府台北高等法院として建てられたという経緯をもつ。最高裁判所の機能をもった機関として、長らく台湾に君臨してきた司法庁舎である。

 台湾総督府は赤煉瓦の壁面が印象的だが、こちらは薄緑色のスクラッチタイルを外壁にまとっている。正直なところ、日中に訪れると、この色合いは地味な印象を禁じ得ないが、朝陽を浴びるとひときわ輝いて美しい。この建物をカメラに収めるのであれば、早朝か午前中に訪れるのがおすすめだ。

 この建物が完成したのは1934(昭和9)年のこと。もともとこの場所には関帝廟があったと言われるが、それを撤去した上でこの建物が造営された。日本統治時代の記録によれば、敷地面積は4711坪に及んでおり、総督府ほどではないが、かなりの規模であることは確かだ。用途から言えば合同庁舎と呼ぶべきもので、高等法院のほかに地方法院と検察局も入っていた。設計は台湾総督府官房営繕課によった。

 この建物を特色付けるものとして、帝冠様式と呼ばれる独特な建築様式を挙げなければならない。これは昭和時代に入ってから終戦までの間にだけ見られる特殊なデザインで、建築母体となっている部分は鉄筋コンクリート造りだが、屋根の部分には東洋風の装飾が施されている。

 帝冠様式は専門家の間では近代建築の整合性に東洋趣味が加味されたものとして注目されている。もちろん、戦時中に吹き荒れた皇民化運動とは無縁ではない。実際、日本の伝統様式を際立たせ、国民が一丸となって戦争に立ち向かうことを鼓舞していた時代を象徴するデザインとも言われている。台北市内ではあまり例を見ないが、南部の高雄市では旧高雄駅舎(現高雄願景館)、旧高雄市役所(現高雄市立歴史博物館)などが残っている。なお、台湾ではこの様式を「興亜式建築」と表現することも少なくない。

 中央の高塔も、この時代の官庁建築に特有のものである。この建物は日本統治時代には3階建てだったが、1966年に屋上部分の増築が施されている。そのため塔の高さは従来ほど強調されなくなったが、この建物以外にも高塔によって「威厳」を際だたせたデザインは各地に散見できる。

 1998年7月には国家の管理する古蹟としての指定を受けた。現在、すでに司法機関としての役目は新庁舎に移っているが、今後も引き続き、台湾の歴史を眺めてきた証人として、その姿を見せていくことだろう。司法関係の博物館として再利用される計画も進められており、一般公開される日が待ち遠しいかぎりだ。

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