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古きよき時代の香りを訪ねて 台北 迪化街を散策

『な〜るほど・ザ・台湾』観光最新情報 2006年12月号掲載

迪化街は台北市内で萬華に次ぐ歴史を誇るエリア。淡水河の水運とともに誕生し、積み出しのための倉庫街として発展した。現在も往時の面影を感じさせる家並みをちょっぴりディープに散策してみよう。

台北の歩みが刻み込まれた街

 台北市は言うまでもなく台湾最大の都市である。264万人もの人口を抱え、板橋市や永和市、樹林市などを加えた大都市圏を形成している。近代的な高層ビルばかりが立ち並ぶ台北だが、今も変わらず古い街並みが残っているエリアもある。今回はそんな地区を紹介してみよう。観光客にもひそかな人気を集めている迪化街一帯だ。

 台北は山岳部と沿岸部の中継地点に位置し、古くから物資の交易で栄えてきた。17世紀頃から淡水河を利用した水運が盛んになり、まずは萬華地区が興隆を迎える。しかし、後に土砂の堆積で水運が利用できなくなると、より河口に近い大稻?に繁栄は移っていった。清国統治時代に入ると樟脳が知られるようになり、日本統治時代には茶葉が台湾の特産品となった。

 その積出港となっていたのが大稻?である。現在も迪化街周辺には当時の商館などが残っており、散策が楽しい。往時の面影は建築物に残るばかりだが、ぜひとものんびりと町歩き楽しみたい。なお、「大稲■」という地名は、この地の開拓を進めた住民が水田の中に空き地を作り、刈り取った稲籾を干したことにちなんでいるという。この大きな空き地を「大稲■」と呼んだのだ。
(■=土へんに呈)

台北の市場・迪化街を歩く

 迪化街を中心としたエリアは、淡水河のほとりに位置している。かつては物資の集積地として栄え、「台北の台所」とも呼ばれていた。食材や乾物、漢方薬などを扱う庶民の市場として知られており、買い物上手な主婦たちのほか、最近は日本人観光客も数多く訪れるようになっている。

 迪化街は細い路地で、一車線のみの一方通行となっている。その両側にぎっしりと煉瓦造りの建物が並んでいる。多くは商店と住居、そして、倉庫を兼ねており、商業基地だった時代を伝えている。現在も問屋を兼ねていることが少なくない。日中は随所で積みだし作業を行う光景が見られる。

 ここで扱われる品物は、種類が豊富なだけでなく、値段も安い。日本人に人気があるのはカラスミ。加工を単純化した安いものなら300元くらいから購入できる。また、日本からやってきた女性客が喜んで買っていくのはフラワーティーやドライフルーツなど。買い物は基本的に量り売りで、一斤(600グラム)単位となるが、少量でも購入は可能だ。自分の欲しいものを指さし、身振り手振りでショッピングを楽しもう。値切る面白さはないが、正価販売なので、安心して買い物ができる。

 この一帯は日本統治時代、太平町、日新町、永楽町と呼ばれていた。迪化街のあたりは永楽町と呼ばれ、今月のショッピングスポットでも紹介した永楽市場にその名が残っている。日本統治時代以前から発達していたこともあり、日本人の居住者は少なく、台湾人居住者が圧倒的に多かったエリアでもある。

 商業や貿易と結びつきが強く、米や茶葉などの取引が盛んに行われていた。中でも茶葉を取り扱う商館は多く、いずれも製茶工場と搬出業者を兼ねた存在となっていた。こういった建物は正面にバロック風の装飾を施しているのが特色で、看板建築と呼ばれている。

周辺地域も楽しみいっぱい

 迪化街の南側に位置する南京西路方面は、台北最大の布地問屋街となっている。永楽市場をはじめ、付近には布地だけを専門に扱う問屋が軒を連ねており、こちらも壮観な眺めだ。仕立て専門業者も集まっているので、好みの布地を購入し、服やアイテムを作ってもらうことが可能。自分だけのとっておきをオーダーメイドしてみよう。このエリアにも日本統治時代に建てられた老建築群が見られる。

 迪化街の散策を終えたら、ぜひ淡水河の河畔まで歩いてみよう。ここは数年前に河岸整備が行われ、現在は緑地となっている。取り立ててアトラクションなどがあるわけではないが、晴れ渡った日などは素晴らしい景観となる。サイクリングロードのほか、遊歩道も整備されている。午後に訪ねれば、夕陽も美しいのでのんびりと散策しよう。また、2004年からは淡水河の川下りフェリー「藍色公路」が就航している。こちらもぜひ試してみたい乗り物だ。関渡までフェリーを利用し、淡水を訪れるというコースも可能だ。

 迪化街へはMRTでは直接アクセスできない。バスも渋滞などがあるのでやや不便だ。確実なのはやはりタクシーの利用で、民生西路と迪化街の交差点を目指してアクセスし、そこから迪化街を南下するように散策するとよい。バスは延平北路の「大稻■碼頭」バス停が便利だが、重慶北路の「朝陽公園」バス停からも徒歩でアクセスできる。
(■=土へんに呈)

隠れた名物 杏仁露

 永楽市場の一階。迪化街に面して店を構える「古早味杏仁露」。ここは隠れた名物デザートの店で、杏仁露(杏仁豆腐)が知られている。つるっとした食感が印象的でゼリーのよう。小豆をのせた紅豆露もおすすめ。35元と安いのも嬉しい。

迪化街 ここは見ておきたい歴史建築

屈臣氏大薬房

 永楽市場のすぐ向かいにある。屈臣氏大薬房は香港資本の薬行で、英語名はワトソンズ。ただし、現在、市内随所でみかける同名のドラッグチェーンとの繋がりはない。残念ながら、建物は1996年2月に火災で焼失してしまい、無惨な姿を晒しているが、永楽町を代表する建物ということで、修復が予定されている。迪化街1段34號

陳天來故居

 陳天来は「錦記」という名の貿易商会を開き、台湾茶を南洋市場へ送り出した人物。台湾茶商公会の会長も務め、製茶税の廃止運動を推し進めた人物でもある。建物は左右対称のデザイン。左右には採光が意識された塔が並んでいる。淡水河は氾濫が多く、この一帯も洪水に見舞われることが多かったため、道路よりも玄関が高い位置に設けられている。貴徳街73号

李春生紀念教堂

 貴徳街一帯は日本統治時代、港町と呼ばれていた。かつては数多くの商館が並び、台湾随一の繁栄を誇っていた。李春生は茶商として財を成し、台湾茶業の父とも言われている。教会は改修されており、外壁もタイルに貼り替えられている。しかし、その雰囲気は独特で、左右に設けられた丸窓が目のように見え、人間の顔のようである。迪化街からは徒歩10分ほど。場所はややわかりにくい。貴徳街44号

仁安醫院

 戦前に設けられた病院建築。雑然とした町並みの中で、ひときわ目立つ歴史建築だ。バロック風の装飾が施された看板建築で、2階建て。この建物は台湾総督府庁舎の余剰資材を用いて建てられたという。煉瓦にも官印である菱形と波形の模様が刻み込まれ、梁には鉄道用のレールが用いられた。延平北路と涼州街の交差点に位置し、今後はコミュニティセンターとして整備されることが決まっている。延平北路2段237号ここ数年、台湾では温泉浴がブームとなっている。台北近郊にもいくつかのスパ・リゾートがオープンし、話題となっている。ここもその中の一軒。渓谷美と温泉浴が楽しめる魅惑のスポットだ。

 

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