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発展を支えた立役者台北市内の産業遺産を訪ねる旅

『な〜るほど・ザ・台湾』特集 2005.7月号掲載

近年の郷土史や歴史建築への関心の高まりで、
産業遺産の保存も行われるようになった。
いわば台湾の発展を支えてきた立役者たちは、
いまも台北に残り、その時代の活気を伝えている。


美しい外観を誇る自来水博物館   木造家屋が使用されている電力会社事務所(和平東路)   散宿所は電力会社のサービスセンター

 台北市内には数多くの産業遺産が点在する。官庁舎が旧台湾総督府(現総統府)周辺に集まっているのに対し、工場や発電所などは郊外に設けられることが多かった。もちろん、戦前の「郊外」は現在の市街地に組み込まれているが、その分布はかなり広範囲にわたっている。今回はそのいくつかを写真で紹介してみよう。

 忠孝東路と八徳路の交差点にある華山文化創意園區はかつての台湾総督府専売局台北第一工場。つまり、台湾総督府専売局が運営する酒工場だった。現在は市民に向けて開かれた芸術空間となっている。かつては貯蔵庫であったという倉庫群や、醸造工場、そして、高さ30メートルの大煙突や冷蔵関連設備などが残っている。

 また、戦前のビール工場も健在だ。八徳路と建国北路の交差点に近い場所に旧高砂麦酒株式会社工場がある。1919(大正8)年に操業を開始したこの工場は、台湾で唯一、ビールを製造する工場であった。産品は「高砂ビール」と名付けられ、広く親しまれた。現在の「台湾ビール」の前身である。

 公館地区の自来水博物館は旧台北水源地ポンプ室である。「自来水」とは水道水と水道施設を意味している。かつて、新店渓から汲み上げた水はここで濾過の処理を経て供水されていった。戦前、すでに毎日12万人分の水がここから給水されていたという。ポンプ室は、1908(明治41)年から使用されている歴史建築。半円状に弧を描いた美しい建物で、結婚写真などの撮影スポットとしても人気が高い。

天母地区のはずれにのびる天母古道を進んでいくと、長らく台北市民の水瓶となっていた草山(陽明山)からのびる太い水道管が見られる。これは日本統治時代から現在まで、すでに70年以上にわたって使用されているもの。上方には水源地があり、一般公開はされていないが、水道橋も存在する。水道管を通った清水は円山に設けられた浄水場を経て市内へ送水されていた。

 台北市内には知られざる産業遺産がまだまだ眠っている。いずれも建築物として派手な装飾が施されているわけでもなく、地味な存在だが、戦前戦後を通じ、台湾の発展を支えてきた功労者たちであるのは確か。その姿をのんびりと訪ね歩いてみるのはいかがだろうか。


ビール工場から町並みを見下ろした様子。


華山文化創意園区は若き芸術家に開かれた創作空間となっている。

番外編


台北郊外を走る平渓線の十分駅近くには炭坑をテーマとした博物館があり、かつて石炭を運んでいたトロッコに体験乗車できる。

 

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