神社残照 「台湾と日本」 共同通信配信の連載
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台北第一中学。現在は台北市立建国中学となっている。 赤煉瓦作りのこの建物を設計したのは日本統治時代初期の建築界の大御所だった近藤十楼。 戦災には遭っているものの、現存しており、台北市の指定する古蹟となっている。
台北、台中、台南の周辺を走っていたガソリンカー。 台北から新北投までも走っていた。 この写真は台北鉄道工場で撮影された一枚。鄭萬経氏提供。
台北高等法院は総督府の南となりにある官庁建築。 内部には地方法院や検察局なども入っていた。 建物はいわゆる帝冠様式で、表面には浅緑色のスクラッチタイルが貼られていた。 現在も司法大廈として現役。なお、ここの屋上からの眺めは素晴らしい。
画像は台北市文献委員会所蔵のものを複写。
台湾総督府(現総統府)の北となりにある台湾銀行本店の様子です。 この写真は竣工時に撮影されたもので、カウンターには台湾東部の蘇澳付近で採掘された 石材が用いられているそうです。 今もこの様子はほとんど変わっていません。
日本統治時代の屏東駅の様子です。 この駅の写真はあまり数が出回っていないようで、目にする機会は多くありません。 屏東市在住の古老が所蔵していた写真帳から複写させていただきました。 拙著『台湾風景印−台湾・駅スタンプと風景印の旅』(玉山社)も合わせてご覧下さい。
日本統治時代の台南駅1番線ホームの様子。 現在もほとんど変化はない。戦前から地下道が設けられており、 夜間にはライトアップも施されていたという。 『台湾建築会誌』に掲載された写真を複写。
日本統治時代の礁渓駅に置かれていたスタンプ。 葉型の珍しいスタンプ。拙著『台湾風景印-台湾・駅スタンプと風景印の旅』(玉山社)より。
台湾島南部の洋上に浮かぶ紅頭嶼。 現在は蘭嶼と呼ばれている。 この島に暮らす住民はタオ族と呼ばれている海洋民族。 詳しくは拙著『観光コースでない台湾』(高文研)を参照していただきたいが、 彼らの正装はいわゆるふんどし。 これだけでも十分にインパクトが大きいが、その風俗・習慣は興味深いものがある。
太平山森林鉄道の木材運搬列車。ここは阿里山、八仙山と並ぶ台湾三大林場として名を馳せました。 木材はこの土場(どば)から羅東まで鉄道で運ばれていきました。 一説には戦艦長門の甲板は太平山で伐採された紅ヒノキが用いられたと言われています。
現在、土場駅は廃止されていますが、敷地は駐車場になっており、だいたいの位置関係はわかります。
現在は観光地となっている烏來。 ここの滝を前にしたタイヤル族の男女です。狩猟をイメージしているのか、犬も一緒なのが印象的です。 戦前に発行された教科書(副読本)から複写。
台湾東部の開発は日本統治時代に始まりました。 急峻な地形のため、こういった吊り橋が随所に見られ、基座などは今も日本統治時代のものが残っていることがあります。
写真は太魯閣峡谷に設けられた吊り橋を渡る人々。
台湾総督府の館内の様子です。 外観は様々なカットが残っているこの建物でが、意外にも館内の写真というのは少なく、 とりわけこの中央ホールのカットは貴重なようです。 この画像は戦前に発行されていた観光案内から複写したもの。今もほとんど変わっていないというのが驚きです。
日本統治時代の瑞芳駅に置かれていたスタンプです。 詳しい解説は拙著『台湾風景印ー台湾駅スタンプと風景印の旅』(玉山社)をご覧いただきたいのですが、 炭坑が多く集まっていた場所だけあって、山全体がぴかぴか光っているのが印象的。また、図案のはずれには、 鉱物を積み込んだ船が洋上に浮かんでいます。
台湾総督府のすぐ脇にあった台湾銀行の本店です。 この写真は新社屋の完成前に配布された絵葉書です。 現在もほとんど手が加えられていないので、往時の様子をしのぶことができます。 館内の見学も可能なので、ぜひ皆さんも足を運んでみてください。
北投公園の様子です。この公園のモデルになったのはなんと上野公園。 ちなみにここに写っている池は今も残っています。そのほか、公園内に石組みの橋が残っています。
この公園に関しては今、執筆中の本の中で詳しく紹介しようと思っています。
現在は台南県に位置する烏樹林の製糖工場です。 1944年6月に鉄道線は開業し、白河や東山へ向かう路線の分岐駅となっていました。 現在も観光用に整備された列車が走っています。 ↑詳しくは拙著『台湾新幹線で行く台南・高雄の旅』』(まどか出版)をご覧ください。
台湾の門戸として機能していた基隆港。その港湾に面していた基隆駅の駅舎です。 台湾でもっとも美しいといわれた駅ですが、残念ながら、現在は建て替えられています。 なお、この写真は拙著『台湾風景印−台湾・駅スタンプと風景印の旅』(玉山社)でも 使用しています。
日本統治時代に発行された絵はがきより転載。 台中駅は中部の要として枢要な地位を占めていました。 優等列車は現在の海線経由でしたが、成功駅からわざわざこの駅に寄っていました。
台湾レトロ写真館をウェブサイト内に移行させました。 引き続き、よろしくお願いいたします。 できるだけリクエストにもお応えしたいと思いますので、お便りをお寄せ下さい(E-MAILで)。
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