阿里山神木は文字通り、阿里山のシンボル。 残念ながら、落雷によって倒れてしまいましたが、今も倒れた状態で残されています。
https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2020/3月/05_rekishi16.pdf?fbclid=IwAR0FgFxack5_FWdAAQ74wdII6DB_PILo5JpemAxQ22WkpO_jCPxDzLsVE2w
台湾古地図パズル。 松山文創園區の中にある「聚珍臺灣」にて。
台北第三高等女学校卒業生の皆さんにお招きいただき、お食事を楽しみました。最近は息切れ気味でしたが、たくさん元気をいただきました。これから講演をこなしに行ってきます。 pic.twitter.com/SIRRVjt1MP — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) February 3, 2021
台北第三高等女学校卒業生の皆さんにお招きいただき、お食事を楽しみました。最近は息切れ気味でしたが、たくさん元気をいただきました。これから講演をこなしに行ってきます。 pic.twitter.com/SIRRVjt1MP
日本統治時代の台北第三高等女学校は通称「三高女」。 現在は中山女子高級中学という名前になっています。
今も日本統治時代の校舎が現役です。 詳しくは、拙著『台北・歴史建築探訪』(ウェッジ)をご覧ください。
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日本時代の建成小学校卒業生の会にお邪魔しました。 寒い日が続きますが、風邪をひかないよう、お元気でいてほしいですね。
今日は日本時代のお正月についてのお話のほか、 熊本銘菓「陣太鼓」にまつわる歴史秘話に驚きました。 これもまた、台湾と深い繋がりがある銘菓です。
知ってそうで知らないものの中に、 日本統治時代の台湾の地名の読み方というものがあります。
今回は高雄市の町名の読みを記しました。 どうぞご覧ください。 昭和13年当時のものです。
https://note.com/katakuratw/n/na5a8d51eafaf 日本統治時代の地名・町名〜高雄編
知っていそうで実は知らない日本統治時代の町名。 台南市編です。
https://note.com/katakuratw/n/na9a361580015 こちらからご覧になれます。
昭和13年編纂の地図。新竹周辺の交通概略図。宣伝になってしまい恐縮ですが、オンラインサロン「片倉佳史の台湾漫遊術」のほうでも私が所有する古地図を随時公開しています。ご興味を感じていただければ幸いです。https://t.co/aUdWbWFQ2H pic.twitter.com/PRljxlFe77 — 台湾魅力探索MEMO (@tw_tabibito) October 2, 2020
昭和13年編纂の地図。新竹周辺の交通概略図。宣伝になってしまい恐縮ですが、オンラインサロン「片倉佳史の台湾漫遊術」のほうでも私が所有する古地図を随時公開しています。ご興味を感じていただければ幸いです。https://t.co/aUdWbWFQ2H pic.twitter.com/PRljxlFe77
台湾東部にあった官営移民村。 吉野村周辺の地図です。
タウラン、ポクポクという南勢アミ族(北部アミ族)の二大集落がありました。
台中市豊原区。 日本統治時代の豊原神社。 敗戦で神社は廃せられましたが、 狛犬は移設されて残っています(鳥居も別の場所にあります)。
台湾の廟に移され、守られている神社の狛犬さん。豊原散歩。 pic.twitter.com/SGJcjC9H4O — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) September 7, 2020
台湾の廟に移され、守られている神社の狛犬さん。豊原散歩。 pic.twitter.com/SGJcjC9H4O
民雄在住の何さんに古い写真を見せていただいています。 pic.twitter.com/uA6QQzrKFX — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) September 14, 2020
民雄在住の何さんに古い写真を見せていただいています。 pic.twitter.com/uA6QQzrKFX
台北市児玉町3丁目1番地。 現在は南昌路になっている児玉町通りにあった病院です。 このイラストは建設中のイメージです。
残念ながら、痕跡を残していませんが、 当時、レントゲン室を完備している病院がいくつあったのか、 気になるところです。
吉田良平氏所蔵。
日本統治時代の菅野医院。 現在、建物は建て替えられていますが、 前面のファサードは残されており、「菅野外科医院」の文字も見られます。
この建物については、 拙著『台北歴史建築探訪』(ウェッジ)に詳しく書いています。 取り壊し前日に撮影した管内のカットもありますので、どうぞご参照ください。
吉田良平さん所蔵のカット
新營付近の地図。鹽水港製糖株式會社の製糖工場がありました。鹽水までの鉄道路線が見えます。現在、工場近くの廃線跡が歩道になっています。新元久氏所蔵。https://t.co/HnVLySCxgr #鹽水 #新營 pic.twitter.com/FppEgKPs8m — 台湾魅力探索MEMO (@tw_tabibito) June 16, 2020
新營付近の地図。鹽水港製糖株式會社の製糖工場がありました。鹽水までの鉄道路線が見えます。現在、工場近くの廃線跡が歩道になっています。新元久氏所蔵。https://t.co/HnVLySCxgr #鹽水 #新營 pic.twitter.com/FppEgKPs8m
澎湖(ぼうこ・ほうこ)島で生まれ育った引揚者の方から古い絵葉書をもらい受けました。大切に保存したいと思います。#澎湖 #馬公 #絵葉書 #日本時代 #古写真 pic.twitter.com/6HKeA463OD — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) June 12, 2020
澎湖(ぼうこ・ほうこ)島で生まれ育った引揚者の方から古い絵葉書をもらい受けました。大切に保存したいと思います。#澎湖 #馬公 #絵葉書 #日本時代 #古写真 pic.twitter.com/6HKeA463OD
日本統治時代にカトリック系私立女学校として開かれた静修女学校。 現在も一部ながら、戦前の校舎が残っています。 詳しくは、拙著『台北歴史建築探訪』(ウェッジ)をご覧ください。
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https://amzn.to/2W7UtdY 『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社) Amazonのページ
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress2/index.php?p=388 台南銀座通りについてはこちらをご覧ください。
日本統治時代の台南銀座。ハヤシ百貨店(現在の林百貨)の側面圖です。『台湾建築会誌』より転載。https://t.co/iPKydcQd0Q #台南 #林百貨 #台南銀座 #古写真 #歴史建築 #日本統治時代 pic.twitter.com/TK6J0eCPFm — 台湾魅力探索MEMO (@tw_tabibito) March 17, 2020
日本統治時代の台南銀座。ハヤシ百貨店(現在の林百貨)の側面圖です。『台湾建築会誌』より転載。https://t.co/iPKydcQd0Q #台南 #林百貨 #台南銀座 #古写真 #歴史建築 #日本統治時代 pic.twitter.com/TK6J0eCPFm
嘉義市 かぎし
新高町 にいたかちょう 山下町 やましたちょう 宮前町 みやまえちょう 東門町 とうもんちょう 朝日町 あさひちょう 檜町 ひのきちょう 北門町 ほくもんちょう 元町 もとまち 南門町 なんもんちょう 堀川町 ほりかわちょう 玉川町 たまかわちょう 栄町 さかえちょう 西門町 せいもんちょう 新富町 しんとみちょう 黒金町 くろがねちょう 末廣町 すえひろちょう 白川町 しらかわちょう 山子頂 さんしちょう 盧厝 ろせき 紅毛埤 こうもうひ 臺斗坑 だいとこう 後湖 こうこ 埤子頭 ひしとう 北社尾 ほくしゃび 竹圍子 ちくいし 車店 しゃてん 下路頭 かろとう 竹子脚 ちくしきゃく 大渓厝 たいけいせき 柴頭港 しとうこう 港子坪 こうしへい 劉厝 りゅうせき
新竹市 しんちくし
田町 たまち 北門町 ほくもんちょう 新富町 しんとみちょう 宮前町 みやまえちょう 錦町 にしきちょう 旭町 あさひちょう 表町 おもてちょう 西門町 せいもんちょう 栄町 さかえちょう 東門町 とうもんちょう 南門町 なんもんちょう 住吉町 すみよしちょう 花園町 はなぞのちょう 黒金町 くろがねちょう 新興町 しんこうちょう 客雅 きゃくが 水田 すいでん 苦苓脚 くれいきゃく 樹林頭 じゅりんとう 湳雅 なんが 東勢 とうせい 赤土崎 せきどざき 埔頂 ほちょう 柴梳山 しそざん 金山面 きんざんめん 吉羊崙 きつようろん 沙崙 さろん 渓埔子 けいほし 崙子 ろんし
過去記事より。 NNA連載「片倉佳史の台湾雑感」より。
日本統治時代の鉄道路線図。 台湾北東部エリアの地図で、 平渓線と呼ばれている路線も描かれています。 終点になる菁桐坑駅は現在、菁桐駅と改められていますが、 今もなお、日本統治時代に建てられた木造駅舎が現役です。
菁桐駅の駅舎については、 拙著『台湾に残る日本鉄道遺産』(交通新聞社新書)に詳しく書いていますので、 ご興味のある方、どうぞご覧ください。
日本統治時代の高雄の家並み。少し動きを付けてみました。『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』より。#高雄 #日本統治時代 #古写真 pic.twitter.com/QvOPYVfMiQ — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) January 28, 2020
日本統治時代の高雄の家並み。少し動きを付けてみました。『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』より。#高雄 #日本統治時代 #古写真 pic.twitter.com/QvOPYVfMiQ
日本統治時代の建成小学校を卒業した台湾の方々が月に一度集まる会合。 今回も参加させていただきました。 明るい笑顔はその雰囲気を如実に示していますね。
台北古地図散策。 台北駅の北側一帯の様子です。 台北駅は南口にあたる駅舎が正面にあたり、通称「表駅」と呼ばれていました。 一方、北口にあたる駅舎は「裏駅」と呼ばれていました。
この古地図は拙著『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)にも掲載しています。 台湾生まれの赤星光雄さんからご提供いただいたものです。
2019年11月7日、台湾を学ぶ会in心斎橋を開催しました。 今回は元台湾少年工の東俊賢さんをお招きしました。 ロケット兵器「秋水」や特攻兵器「桜花」、 空母「信濃」、東京大空襲などについてうかがったほか、 平埔族についてのお話をうかがいました。
また、この日はノンフィクション作家の門田隆将さんもお見えになりました。 東さん、ありがとうございました。
愛媛県松山市在住の蔵原一郎医師を訪問しました。 旧制台北高校についての聞き取りですが、年々、証言を得るのが難しくなっています。 しっかりと記録をとっていきたいと思います。
愛媛県松山市在住の蔵原一郎医師を訪問しています。旧制台北高等学校についてお話をうかがっています。 pic.twitter.com/km3C6yhmO4 — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) November 7, 2019
愛媛県松山市在住の蔵原一郎医師を訪問しています。旧制台北高等学校についてお話をうかがっています。 pic.twitter.com/km3C6yhmO4
麻豆尋常小学校 校歌
一、 大野狭しと流れ来て 昼夜注ぐ曽文渓(そぶんけい) 清く澄みては雲のかげ 星かげ映し諭すなり うまず学びて のびゆく前途 楽しき我ら
二、 仰げ永劫そそり立つ 新高山のその姿 朝日夕日に雄々しくも 眼を遠く放つなり 高く遙けき 希望に燃えて 楽しき我ら
奮起湖駅は阿里山鉄道の拠点駅。 周囲に漂う空気がしっとりとしていて、 なんとも言えない清々しさに包まれます。
一時は中国人旅行者があふれかえっていましたが、 最近は少し落ち着いた感じですね。
阿里山鉄道奮起湖駅の構内風景。後ろに見える車庫は今も残っています。『古写真が語る台湾日本統治時代の50年』(祥伝社)より転載。 pic.twitter.com/v5eYG9NeOl — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) 2019年7月8日
阿里山鉄道奮起湖駅の構内風景。後ろに見える車庫は今も残っています。『古写真が語る台湾日本統治時代の50年』(祥伝社)より転載。 pic.twitter.com/v5eYG9NeOl
2019年5月、台北市建成小学校の卒業生たちが里帰りを果たしました。 今年は学校開設からちょうど100周年の年でした。 これに合わせ、5月24日19時から湾生の卒業生たちにお話を聞くイベントを 建成会と台湾を学ぶ会が共同開催で催しました。 聞き役は片倉佳史が務めました。
おかげさまで100名を超える方にお集まりいただきました。
関心の高さを嬉しく思いました。
台中州小唄 長井静泉作
一 東しや三十二座万尺超ゆる 峰の間から旭がさしてヨイトナ 伸る茂るよ林が森が 台中州下はホンニヨイトナ
二 島の仙境日月潭よ 通うしら雲杵唄よそにヨイトナ 緑り抱き寝の涵碧楼 台中州下はホンニヨイトナ
三 明けの新高薄化粧姿 霧社の桜は口紅頬紅ヨイトナ 浮世のそとにも恋がある 台中州下はホンニヨイトナ
四 米は蓬莱豊かな平野 流る大肚渓瀬音ゆれてヨイトナ 黄金波打つ二百万石 台中州下はホンニヨイトナ
五 明治温泉恋花湯花 熱い情けが溢れて湧いてヨイトナ 憎くや帰れぬ今日もまた 台中州下はホンニヨイトナ
昭和6年頃の基隆港の様子です。 都市計画が行き届き、美しい港が市民の自慢だったと言います。
『台湾建築会誌』に掲載された嘉義駅の一番線ホーム。 今もほとんど変化なく、往時の姿を保っています。
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台南銀座と呼ばれた商店街。 小出商行はハヤシ百貨店(林百貨)と並ぶ存在でした。
【2019年バシー海峡戦没者慰霊祭のご案内】今年のバシー海峡戦没者慰霊祭から一ヶ月が経ち、多くの方々より来年の慰霊祭について問い合わせをいただきました。実行委員会にて協議した結果、来年は2019年11月17日(日)に斎行します。詳細確定後、参加申込み受付を開始します。https://t.co/qyaJWnbacX pic.twitter.com/APTafeSmea — 権田@台湾在住 (@taiwan_gontake) 2018年12月10日
【2019年バシー海峡戦没者慰霊祭のご案内】今年のバシー海峡戦没者慰霊祭から一ヶ月が経ち、多くの方々より来年の慰霊祭について問い合わせをいただきました。実行委員会にて協議した結果、来年は2019年11月17日(日)に斎行します。詳細確定後、参加申込み受付を開始します。https://t.co/qyaJWnbacX pic.twitter.com/APTafeSmea
日本統治時代の台北市建成小学校。 卒業生の会にお邪魔しました。
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