logo
 サイト内検索

検索オプション
 メインメニュー

第1回:総統府の高塔と台湾を去った建築士の話

The Daily NNA 【台湾版】 2007.7.6掲載

赤煉瓦に花崗岩を帯状に配したこの建物は、今もなおその美しさが際だっている。平日の午前中は館内の参観が可能。外国人はパスポートの携帯が義務付けられている。

台北市の中心部にそびえる総統府。竣工は1919(大正8)年。台湾総督府として建てられ、常に台湾の最高行政機関となってきた。コラムを担当させていただくにあたって、まずはこの建物を取り上げてみたい。

総統府を前にすれば、必ずや中央の高塔が目に入ってくる。高層建築の少ない時代、基隆から汽車でやってきた人々が最初に目にしたのはこの塔だったともいう。まさに台北を代表するランドマークだった。

台湾総督府の設計者は森山松之助という技師である。しかし、設計図を引いたのは長野宇平治(うへいじ)という人物だった。両名とも建築界の大御所・辰野金吾の弟子である。デザインは日本初のコンペによって選定され、長野の作品が選ばれた。しかし、ここに総督府からクレームが入った。長野案では「威厳が足りない」というのだ。プライドの高い長野は手直しを嫌い、結局、弟分である森山が手を加えた。塔が60メートルになったのはこの時からである。ちなみにシンメトリーを強調し、正面の塔を際だたせるのは当時の流行だった。東京で言えば、東京帝国大学安田講堂や国会議事堂が該当する。

その後、長野は台湾と関わることが一切なかった。これに対し、森山は台北州庁(現監察院)、台中州庁(現台中市政府)など、各地の官庁建築を手がけている。後には銀行建築の大家と評された長野がより深く関わっていたとしたら、台湾の建築界はどのように変わっていただろうか。興味は尽きないところである。

Copyright © 2000-2011 片倉 佳史 KATAKURA Yoshifumi All Rights Reserved.台湾特捜百貨店