コンピュータグラフィックで蘇った台北駅前の高級旅館「台北鉄道ホテル」。 台湾の民視電視台が半年かけてまとめた番組です。
https://youtu.be/RK0PCPyDn1A 動画はこちらをクリック!
残念ながら、昭和20年5月31日の台北大空襲で全壊してしまいましたが、 熱心なスタッフのおかげでその姿が蘇ったようです。
なお、この番組には続編もありますので、 改めてアップいたします。
どうぞご期待ください。
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台北駅前にあった「台北鉄道ホテル」。台湾の民視電視台が半年かけてまとめた番組です。残念ながら、戦時中、空襲に遭って建物は全壊してしまったのですが、熱心なスタッフのおかげで現代に蘇ったような印象です。最後の方に出てくる古写真も貴重なものが含まれていますね。https://t.co/7WsCaYCDv3 — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) April 22, 2021
台北駅前にあった「台北鉄道ホテル」。台湾の民視電視台が半年かけてまとめた番組です。残念ながら、戦時中、空襲に遭って建物は全壊してしまったのですが、熱心なスタッフのおかげで現代に蘇ったような印象です。最後の方に出てくる古写真も貴重なものが含まれていますね。https://t.co/7WsCaYCDv3
https://katakura.jimdosite.com/ 台湾特捜百貨店(新版)
奮起湖駅は阿里山鉄道の拠点駅。 周囲に漂う空気がしっとりとしていて、 なんとも言えない清々しさに包まれます。
一時は中国人旅行者があふれかえっていましたが、 最近は少し落ち着いた感じですね。
阿里山鉄道奮起湖駅の構内風景。後ろに見える車庫は今も残っています。『古写真が語る台湾日本統治時代の50年』(祥伝社)より転載。 pic.twitter.com/v5eYG9NeOl — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) 2019年7月8日
阿里山鉄道奮起湖駅の構内風景。後ろに見える車庫は今も残っています。『古写真が語る台湾日本統治時代の50年』(祥伝社)より転載。 pic.twitter.com/v5eYG9NeOl
『台湾建築会誌』に掲載された嘉義駅の一番線ホーム。 今もほとんど変化なく、往時の姿を保っています。
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台湾と内地(日本本土)を結んだ内台航路。 高砂丸のほか、扶桑丸や富士丸、高千穂丸などが就航していました。
『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)より転載。
新竹駅〜開業105周年を迎えるターミナル建築 https://t.co/Y0noKNptMg#新竹駅 #新竹車站 #片倉佳史 #歴史建築 — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2018年4月9日
新竹駅〜開業105周年を迎えるターミナル建築 https://t.co/Y0noKNptMg#新竹駅 #新竹車站 #片倉佳史 #歴史建築
【懐かしの台湾】 日本統治時代に撮影された阿里山鉄道の様子。『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)より。 pic.twitter.com/coNd6ypA2N — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2017年5月8日
【懐かしの台湾】 日本統治時代に撮影された阿里山鉄道の様子。『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)より。 pic.twitter.com/coNd6ypA2N
【台湾歴史秘話】 平渓線は渓谷美で知られるが、日本統治時代ここは「平渓耶馬溪」と言われていた。『台湾鉄路と日本人』(交通新聞社)より。 #台湾 #台灣 #taiwan #たいわん #福爾摩沙 — 台湾を知る台湾を想う台湾を感じるBOT (@KatakuraDotNet) 2017年3月28日
【台湾歴史秘話】 平渓線は渓谷美で知られるが、日本統治時代ここは「平渓耶馬溪」と言われていた。『台湾鉄路と日本人』(交通新聞社)より。 #台湾 #台灣 #taiwan #たいわん #福爾摩沙
【日本統治時代の台湾】 新竹付近の交通概略図。拙著『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)も合わせてご覧ください。https://t.co/exigE0Y1iw pic.twitter.com/fNZgyarbVD — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2016年12月7日
【日本統治時代の台湾】 新竹付近の交通概略図。拙著『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)も合わせてご覧ください。https://t.co/exigE0Y1iw pic.twitter.com/fNZgyarbVD
日本統治時代の花蓮周辺の鉄道路線図。 当時の駅名は「花蓮港(かれんこう)」でした。 拙著『古写真が語る台湾日本統治時代の50年』(祥伝社)から転載。
高架駅に切り替わった台中駅。 最終日となった10月15日は多くの人で賑わったそうです。
こういった場所にいると、 鉄道ファンよりもそれ以外の方のほうが圧倒的に多いというのが台湾的です。
写真は拙著『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)より
日本統治時代の台湾。 当時のトロッコ事情について書いています。 以下から読むことができます。
https://www.naruhodo.com.tw/katakura/index.php?page_num=7 『な〜るほどザ台湾』の記事
日本統治時代の虎尾駅の様子。 現在も建物は残されており、売店&食堂として使用されています。 大日本製糖鉄道線の拠点駅の一つでした。
大日本製糖株式会社社史より。
日本統治時代の構内配線図。 彰化県社頭郷の福井食堂経営者、陳朝強さん所蔵の資料。 平渓線の十分寮駅(現・十分駅)の構内配線図です。
日本統治時代の蘇澳駅の様子。 駅舎は木造家屋だったようです。 漁港は南方澳にあり、歩くか、バスで移動していたそうです。 陸揚げされた魚介類はトロッコで駅まで運ばれていたそうです。
2013年3月31日に竣工100周年を迎える新竹の駅舎。 風格が感じられますね。設計者・松ヶ崎萬長は13才で遣欧使節団に入ってドイツに向かった人物。 この建物もドイツ風の厳つい印象をまとっています。
日本統治時代の啓蒙ポスターより。
花蓮港駅前のバス乗り場。 結構な賑わいですね。ここから東海自動車という会社が蘇澳まで路線を持っていました。
なお、日本統治時代の都市名、駅名は港の有無にかかわらず、「花蓮港(かれんこう」でした。
日本統治時代の台北駅構内の様子。 駅舎は初代。『台北写真帖』より転載。
日本統治時代の基隆(きいるん)駅。 最も美しい駅舎建築と称されていたそうです。
日本統治時代の高雄駅に置かれていたスタンプ。 高雄駅に関しては、四種類のスタンプの存在が確認できているものの、総数は不明です。 写真は拙著『台湾風景印』(玉山社)から転載しています。
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/tinyd1/index.php?id=12 「台湾風景印-台湾・駅スタンプと風景印の旅」 ご案内のページ
日本統治時代の屏東(へいとう)駅に置かれていたスタンプ。 南国風情を示したパパイヤが大きく描かれている。 屏東は飛行第八聯隊の所在地で、スタンプにも飛行機が描かれている。 スタンプは拙著『台湾風景印』(玉山社)より転載。 また、『台湾に残る日本鉄道遺産』(交通新聞社)でも紹介しています。
日本統治時代の台東駅を鳥瞰。 現在、台東駅は郊外に移転しており、極めて不便。 市の中心部にあったこの旧駅は芸術展示空間となっている。 画面右手にある木造車庫は今も残っている。
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