日本時代の建成小学校卒業生の会にお邪魔しました。 寒い日が続きますが、風邪をひかないよう、お元気でいてほしいですね。
今日は日本時代のお正月についてのお話のほか、 熊本銘菓「陣太鼓」にまつわる歴史秘話に驚きました。 これもまた、台湾と深い繋がりがある銘菓です。
台北市児玉町3丁目1番地。 現在は南昌路になっている児玉町通りにあった病院です。 このイラストは建設中のイメージです。
残念ながら、痕跡を残していませんが、 当時、レントゲン室を完備している病院がいくつあったのか、 気になるところです。
吉田良平氏所蔵。
日本統治時代の菅野医院。 現在、建物は建て替えられていますが、 前面のファサードは残されており、「菅野外科医院」の文字も見られます。
この建物については、 拙著『台北歴史建築探訪』(ウェッジ)に詳しく書いています。 取り壊し前日に撮影した管内のカットもありますので、どうぞご参照ください。
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吉田良平さん所蔵のカット
日本統治時代にカトリック系私立女学校として開かれた静修女学校。 現在も一部ながら、戦前の校舎が残っています。 詳しくは、拙著『台北歴史建築探訪』(ウェッジ)をご覧ください。
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日本統治時代の建成小学校を卒業した台湾の方々が月に一度集まる会合。 今回も参加させていただきました。 明るい笑顔はその雰囲気を如実に示していますね。
台北古地図散策。 台北駅の北側一帯の様子です。 台北駅は南口にあたる駅舎が正面にあたり、通称「表駅」と呼ばれていました。 一方、北口にあたる駅舎は「裏駅」と呼ばれていました。
この古地図は拙著『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)にも掲載しています。 台湾生まれの赤星光雄さんからご提供いただいたものです。
愛媛県松山市在住の蔵原一郎医師を訪問しました。 旧制台北高校についての聞き取りですが、年々、証言を得るのが難しくなっています。 しっかりと記録をとっていきたいと思います。
愛媛県松山市在住の蔵原一郎医師を訪問しています。旧制台北高等学校についてお話をうかがっています。 pic.twitter.com/km3C6yhmO4 — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) November 7, 2019
愛媛県松山市在住の蔵原一郎医師を訪問しています。旧制台北高等学校についてお話をうかがっています。 pic.twitter.com/km3C6yhmO4
2019年5月、台北市建成小学校の卒業生たちが里帰りを果たしました。 今年は学校開設からちょうど100周年の年でした。 これに合わせ、5月24日19時から湾生の卒業生たちにお話を聞くイベントを 建成会と台湾を学ぶ会が共同開催で催しました。 聞き役は片倉佳史が務めました。
おかげさまで100名を超える方にお集まりいただきました。
関心の高さを嬉しく思いました。
【2019年バシー海峡戦没者慰霊祭のご案内】今年のバシー海峡戦没者慰霊祭から一ヶ月が経ち、多くの方々より来年の慰霊祭について問い合わせをいただきました。実行委員会にて協議した結果、来年は2019年11月17日(日)に斎行します。詳細確定後、参加申込み受付を開始します。https://t.co/qyaJWnbacX pic.twitter.com/APTafeSmea — 権田@台湾在住 (@taiwan_gontake) 2018年12月10日
【2019年バシー海峡戦没者慰霊祭のご案内】今年のバシー海峡戦没者慰霊祭から一ヶ月が経ち、多くの方々より来年の慰霊祭について問い合わせをいただきました。実行委員会にて協議した結果、来年は2019年11月17日(日)に斎行します。詳細確定後、参加申込み受付を開始します。https://t.co/qyaJWnbacX pic.twitter.com/APTafeSmea
日本統治時代の台北市建成小学校。 卒業生の会にお邪魔しました。
日本統治時代の台北第三高等女学校を卒業した女性の聞き取り。美しい和歌をお詠みになるのですが、この達筆ぶりに圧倒されます。この方は私がアレンジしている日本の高校生たちとの交流会にも来ていただくのですが、多くのことを感じ取ってもらいたいものです。 pic.twitter.com/cx1XXVKgyd — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) 2018年11月26日
日本統治時代の台北第三高等女学校を卒業した女性の聞き取り。美しい和歌をお詠みになるのですが、この達筆ぶりに圧倒されます。この方は私がアレンジしている日本の高校生たちとの交流会にも来ていただくのですが、多くのことを感じ取ってもらいたいものです。 pic.twitter.com/cx1XXVKgyd
展示が再開された国立台湾博物館の後藤新平像#後藤新平 #児玉源太郎 #銅像 # 片倉佳史(かたくらドットねっと)さん(@nwotaiwan)がシェアした投稿 - 2017年11月月24日午前4時24分PST
展示が再開された国立台湾博物館の後藤新平像#後藤新平 #児玉源太郎 #銅像 #
片倉佳史(かたくらドットねっと)さん(@nwotaiwan)がシェアした投稿 - 2017年11月月24日午前4時24分PST
台北古地図散歩。暑いです。 pic.twitter.com/riJI6eEZWr — 片倉佳史(かたくらよしふみ) (@katakura_nwo) 2018年6月17日
台北古地図散歩。暑いです。 pic.twitter.com/riJI6eEZWr
台湾総督府博物館は現在、国立台湾博物館になっています。 このカットは台北高等学校の生徒たちの記念写真。
モニカさん、ご提供、ありがとうございます。
台北市建成小学校の卒業生の皆さんとお食事を楽しみました。戦前の「すき焼き事情」に始まって、怖い歯医者の話、中学校の入試問題、幼稚園事情、進学時の差別待遇などの話題で盛り上がりました。近いうちに「台湾を学ぶ会(臺灣研究俱楽部)」で機会を作りたいと思っています。どうぞご期待ください。 pic.twitter.com/CRZhbwOjeD — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2018年3月5日
台北市建成小学校の卒業生の皆さんとお食事を楽しみました。戦前の「すき焼き事情」に始まって、怖い歯医者の話、中学校の入試問題、幼稚園事情、進学時の差別待遇などの話題で盛り上がりました。近いうちに「台湾を学ぶ会(臺灣研究俱楽部)」で機会を作りたいと思っています。どうぞご期待ください。 pic.twitter.com/CRZhbwOjeD
現在は林森北路と呼ばれている歓楽街。 日本統治時代に木村泰治によって開発された高級住宅街でした。 当時は大正町と呼ばれていました。
日本統治時代の台北市営バス。 詳細な路線図はなかなか目にすることはできません。
神戸在住の吉田良平さん所蔵。
経済誌NNAの隔週連載「片倉佳史の台湾雑感」より。 陽明山は日本統治時代は草山と呼ばれていました。 多くの市民で賑わった衆楽園について書きました。
東門駅近くに残る日本統治時代の老家屋。かつてここに暮らしていた湾生とそのご家族と一緒に訪問。建物はかなり損傷を受けていましたが、ガジュマルの老木は生命力溢れていました。 pic.twitter.com/lbk7KXzdAL — カタクラ マリ (@formosamari) 2017年9月5日
東門駅近くに残る日本統治時代の老家屋。かつてここに暮らしていた湾生とそのご家族と一緒に訪問。建物はかなり損傷を受けていましたが、ガジュマルの老木は生命力溢れていました。 pic.twitter.com/lbk7KXzdAL
戦前の台湾人カメラマンの写真集「看見李火増」。当時の人々の暮らしぶりが伝わってくる貴重な写真ばかりで、思わず見入ってしまいます。ちょっと値は張るけれども、それだけの価値は十分あり。中山北路の林田桶店がまったく変わっていないことにも感動します。 pic.twitter.com/FZN0Q3Jxt4 — カタクラ マリ (@formosamari) 2017年8月21日
戦前の台湾人カメラマンの写真集「看見李火増」。当時の人々の暮らしぶりが伝わってくる貴重な写真ばかりで、思わず見入ってしまいます。ちょっと値は張るけれども、それだけの価値は十分あり。中山北路の林田桶店がまったく変わっていないことにも感動します。 pic.twitter.com/FZN0Q3Jxt4
台湾総督府専売局。日本統治時代の建築探訪。 pic.twitter.com/NgJaewdPfg — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2017年5月29日
台湾総督府専売局。日本統治時代の建築探訪。 pic.twitter.com/NgJaewdPfg
日本統治時代の旧制台北高等学校は現在、国立台湾師範大學となっています。 その南側のエリアの地名に注目です。
樺山小学校校歌
一 山(やま)は大屯(だいとん)、高(たか)く聳(そび)え 川(かは)は新店(しんてん)、遠(とほ)く流(なが)る、 光榮(はえ)ある歴史(あと)を、友(とも)よ仰(あふ)げ、 樺(かば)の葉(は)の校旗(はた)、此處(ここ)に樹(た)てり。
二 教育勅語(みこと)畏(かしこ)み、校訓(をしへ)守(まも)り、 心(こころ)を鍊(ね)りつ、身(み)を鍛(きた)へつ、 學(まな)びの窓(まど)に、友(とも)よはげめ、 道(みち)は一筋(ひとすぢ)、いぎ行(ゆ)かむ。
建功神社。 神社らしからぬ斬新なデザインで注目されました。 拙著『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)より転載。
台北の古地図とチェブラーシカ。 pic.twitter.com/kdXA1j2l6a — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2017年4月22日
台北の古地図とチェブラーシカ。 pic.twitter.com/kdXA1j2l6a
【取材メモ】 宮崎県在住の柿原さんを訪問。日本統治時代の教育についてはいろいろな研究がありますが、教師の目線から語られる状況は情報が少なく、貴重な証言を多くいただきました。資料もたくさん見せていただきました。 pic.twitter.com/tCCnaKsXF3 — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2017年4月18日
【取材メモ】 宮崎県在住の柿原さんを訪問。日本統治時代の教育についてはいろいろな研究がありますが、教師の目線から語られる状況は情報が少なく、貴重な証言を多くいただきました。資料もたくさん見せていただきました。 pic.twitter.com/tCCnaKsXF3
京都で開かれた旧樺山小学校の同窓会にお邪魔しました。 皆さんからうかがうお話しはどれも新鮮なものばかりで、とても勉強になりました。
晴れやかな笑顔がとても印象的でした。 京都まで往復する価値は十分にありました!
いつまでも皆さん、お元気でいてほしいです。
旧樺山小学校の同窓会を取材させていただきました。 pic.twitter.com/1bj7ZorwH2 — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2017年4月12日
旧樺山小学校の同窓会を取材させていただきました。 pic.twitter.com/1bj7ZorwH2
【レトロ台湾】日本統治時代の「台北銀座」。栄町通りは現在、衡陽路と呼ばれています。右手に見えるのは和泉時計店の塔は現在も残っています。https://t.co/lR6kS6gGNv 拙著『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)より。#祥伝社#片倉佳史#古写真 pic.twitter.com/mrsgTOubyM — 片倉 佳史 (@katakura_nwo) 2017年3月19日
【レトロ台湾】日本統治時代の「台北銀座」。栄町通りは現在、衡陽路と呼ばれています。右手に見えるのは和泉時計店の塔は現在も残っています。https://t.co/lR6kS6gGNv 拙著『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』(祥伝社)より。#祥伝社#片倉佳史#古写真 pic.twitter.com/mrsgTOubyM
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