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 ブログ 片倉佳史の台湾体験

2016年10月21日(金曜日)

台南神社の狛犬

台南神社の遺構。
狛犬が忠烈祠に移されています。
奧にはブロンズ製の狛犬も一対、置かれています。

台南神社,狛犬,忠烈祠


2016年8月29日(月曜日)

電子書籍版『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』

片倉佳史,古写真,台湾,日本統治時代,祥伝社

【拙著・拙稿】 

電子書籍版 『古写真が語る台湾 日本統治時代の50年』が刊行されました。
祥伝社から出た『古写真が語る台湾日本統治時代の50年』はおかげさまで先月3刷りになりましたが、
このたび、電子書籍版も刊行になりました。

本書は日本統治時代の古写真や絵はがきを1200枚用い、
往年の台湾を紹介した一冊ですが、サイズに限界があるので、電子書籍版は出ないのかというお問い合わせをたくさんいただいていました。

これを機に、より多くの方々に手にとってもらえたら・・・と思っています。
値段は少し安めに、1620円(税込み)に設定してもらいました。

https://www.paburi.com/paburi/bin/product.asp?pfid=20006-121105163-001-001

詳しくはこちらをご覧ください(購入もできます)

それではどうぞよろしくお願いいたします!

電子書籍,片倉佳史,台湾,祥伝社,日本統治時代


2016年3月2日(水曜日)

台南郊外の神社遺跡。三崁店神社


2015年12月1日(火曜日)

【講演報告】 東京赤坂。無事に終わりました

片倉佳史,講演,グローバル,台南,林百貨,

【講演報告】

11月30日、グローバルユースビューローさん主催の講演、無事に終わりました。
平日の午後という時間帯でしたが、おかげさまで80名の方にお集まりいただき、台湾の魅力を分かち合うことができました。

ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました!
また、お会いできることを楽しみにしております。

明日はJR九州ツアーさん主催の講演、4日には国立台湾大学での講演があります。
なかなか落ち着かない日々が続きます・・・


2015年9月30日(水曜日)

台東神社遺跡(『光華』ウェブ連載「台湾の街角から」より)

台東神社,鯉魚山,片倉佳史,台湾の街角から,光華


2015年3月29日(日曜日)

今も残る台湾神社の狛犬


2015年1月10日(土曜日)

新化神社大鳥居

台南郊外にある新化の神社遺跡を訪ねました。
ここを最初に訪れたのは1997年。
こんなに立派な大鳥居が残っているとは夢にも思わず、衝撃を受けました。

ただ、何度かの訪問時に必ず訪ね、いろいろと思い出話をしてくれた老人は
皆いなくなり、寂しさに耐えなくてはなりません。

わかってはいても、時間の流れを恨めしく思ったりもします・・・

新化神社,台南,神社遺跡,台湾


2014年5月19日(月曜日)

新荘北巡聖安宮に祀られる日本人警察官

義愛公,森川,新荘,分霊,副瀬村,北巡聖安宮

嘉義県東石郷には日本統治時代の巡査が人々によって祀られています。
それは「義愛公」と呼ばれて親しまれており、私も『台湾に生きている日本』(祥伝社)で取り上げました。

ここはその義愛公の分霊先。
日本人巡査の森川清治郎が御神体になって祀られています。

もともとは1958年に現在の宮主のご主人が富安宮から分霊を受け、自宅祭祀していましたが、
ご利益が大きく、1971年に現在の廟宇が建てられたと言います。

森川清治郎,義愛公,新荘北巡聖安宮

ここは場所がかなりわかりにくいところなのですが、
黄威勝さんの尽力でたどりつくことができました。
ありがとうございました!

新荘北巡聖安宮
新北市新荘区新樹路85巷1弄16号之1

義愛公,森川,新荘,分霊,副瀬村,北巡聖安宮


2014年5月9日(金曜日)

左営、城壁上に残る神社の遺跡

左営,戦跡,台湾,神社,遺跡,自強新村

今日は早朝出発で高雄・屏東の日帰り取材。
高雄在住の陳さんと湯さんに連れられ、かつての軍人村を訪問しました。

そこでご案内いただいたのが城壁上に残された神社(遥拝所)の遺跡。
詳細は全く不明ですが、傍らには手水鉢も残っていました。

左営,戦跡,台湾,神社,遺跡,自強新村
手前に見えるのが手水鉢

すでに大半の家屋は撤去され、一帯は再開発が決まっています。
防空壕などの戦跡もいくつか残っており、今後の動きが気になります。

それにしても全く思いもよらない「遭遇」でした。
これからじっくり調べていきたいと思います。

陳さん、湯さん、ありがとうございました!

左営,戦跡,台湾,神社,遺跡,自強新村,手水鉢


2014年3月15日(土曜日)

旧豊原神社の遺構

豊原神社,石灯籠,遺蹟


2014年3月7日(金曜日)

トークライブ・澎湖編のご案内 3月21日(金)

澎湖,片倉真理,望安

【講演のお知らせ】

今年最初のトークライブです。
2014年3月21日(金曜日・祝日)、台湾漫遊倶楽部さんにお招きいただき、
「片倉佳史のもっと台湾トークライブ Vol.7」が開かれることになりました。

今回は「澎湖諸島」についてお話しします。
台湾海峡に浮かぶ澎湖の地理や歴史、奥深いご当地グルメなどをテーマに2時間たっぷりお話しします。
なかなかガイドブックなどでも取り上げることが難しいエリアなので、旅のヒントなども盛り込みたいと思います。

澎湖,員貝,片倉佳史,トークライブ

場所は地下鉄春日駅真上の文京区民センターで、午後2時スタート。
今回も台湾で刊行されている日本語書籍や雑誌、自費出版ものの販売なども考えています。

また、4月17-19日には200%満喫ツアー・澎湖編があります。
こちらも今、もろもろの準備を進めています。

http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=1424
ツアー詳細はこちらをご覧ください

今回、片倉佳史のもっと台湾トークライブは7回目となります。
台湾好きの皆さんとお会い出来ることを楽しみにしています。

お問い合わせ、お申し込みは台湾漫遊倶楽部さんのウェブサイトからお願いいたします。
質問も受け付けています!
より多くの皆さんとお会いできることを楽しみにしています。

http://www.junglegym.co.jp/taiwanmanyu/event/index.html
台湾漫遊倶楽部さんのウェブサイト

澎湖,バス,片倉佳史
待ってます!(澎湖のバス停)


2014年2月8日(土曜日)

「日本軍艦」を祀る保安堂、『な〜るほどザ台湾』の記事

【拙著・拙稿から】 

今月号の『な〜るほどザ台湾』に「旧日本海軍の「神艦」が祀られる廟・高雄紅毛港保安堂を訪ねる」を寄稿しています。
12月29日の新社殿遷座式のことを書いてみました。
機会のある方、どうぞご覧ください。軍艦のご神体は存在感たっぷりですね。

保安堂,紅毛港,高雄,日本軍艦,片倉佳史,小菅亥三郎


2014年2月3日(月曜日)

台中神社の遺蹟(NNA連載より)

台中神社,台湾雑感,NNA,神社遺蹟


2014年1月20日(月曜日)

弘法大師を祀る祠、北投探索

北投の郷土史研究家・楊さんを訪ねました。
今回は彼の月琴アートの展覧会に顔をだすために北投を訪ねたのですが、
急遽、お願いして弘法大師を祀った大師巌(大師岩)に行くことにしました。

大師岩,楊,台湾日治時代遺跡,玉山社

しかし、時はすでに5時を回っており、夕暮れが近づいています。
そこで延々と続く山道をなかば走るように「プチ登山」・・・。
ただでさえ足場が悪く、ハードな道のりをひたすら走り続ける苦しさ。まさにここ数年来のものでした・・。

歌碑,大師岩,弘法大師,北投

ここは『台湾 日本統治時代の歴史遺産を歩く』(戎光捗佝如砲函愨耋册治時代遺跡』(玉山社)で紹介していますが、
実に9年ぶりの訪問でした。
詳細は両拙著をご覧いただきたいのですが、日本統治時代の歌碑が残っています。

祠に安置されていた神像は戦後に盗まれてしまい、
私が最初に訪れた際は空洞でしたが、現在はチベット仏教の団体がちょっとした整備を施しています。

楊,丹鳳山,大師岩,文史工作室,Solo Singer
日本統治時代の石塊。徳島市、佐古町の文字あり

弘法大師,台湾,北投
現在は少し整備されています

ただ、行きにくいというのは以前と同じ。
特に真っ暗な中を帰る時の心もとなさは、まさに芥川龍之介『トロッコ』の良平のようでした(笑)

大師岩,楊,台湾日治時代遺跡,玉山社
「台湾よ永に幸あれ」と刻まれた石塊。

今回、楊さんに教えられて初めて見ましたが、「台湾よ 永に幸あれ」と刻まれた石塊。
詳細は不明ですが、興味が尽きない遺構でした。

ほとんど知られることのない歴史スポットですが、行けてよかったです。
もしここに行く場合は中和禅寺から丹鳳山の登山歩道をひたすら上がっていくルートをおすすめします。

弘法大師,台北,片倉佳史


2013年10月29日(火曜日)

岡山神社の御神輿(NNAの連載記事より)

岡山神社,日本統治時代,神輿,台湾


2013年9月9日(月曜日)

士林地区の歴史を歩く・その2

【拙著・拙稿から】

公益財団法人交流協会の機関誌『交流』。
ここに隔月で連載を担当させていただいています。

「台北の歴史を歩く」。早いものでこの連載も20 回目を迎えました。
今回は「士林地区の歴史を歩く」というテーマで書かせていただいています。
その第二回目です。

知られざる神社遺跡・圓山水神社や草山水道などについて書いています。
以下のリンクから記事を見ることができます。

機関誌『交流』のリンクページ

水神社,台北,圓山


2013年9月1日(日曜日)

台湾神社鎮座記念碑を訪問

台北郊外に残る台湾神社の鎮座記念碑。
昨日、友人から教えられた情報をもとに、台北郊外の新北市林口・竹林山觀音寺に行ってきました。
ここの廃物置き場に日本統治時代の石碑が残っています。

最初に駐車場脇の一角にうち捨てられた石燈籠を確認。
分解されてはいますが、明らかに日本式の燈籠です。
中には刻まれた文字の中に「昭和」とあるものもありました。
ただし、全体像は掴みにくく、今後の調査を要します。

台湾神社,林口,鎮座紀念碑

次に、台湾神社の鎮座記念碑を探します。
この石碑は神社遺跡の研究をしておられる金子展也氏の論考の中で記されていましたが、
なかなか時間を得られず、訪れることができませんでした。

また、8月29日に中国時報(電子版)にも、この石碑についての記事が出ました。
これについては何人かの友人から連絡をもらっていました。
そして、このたび友人の古庭維さんにお願いし、連れていっていただきました。

               

石碑は社殿後方の廃材置き場にありました。
この廟は敷地が非常に広く、全く検討がつかなかったのですが、
あまり苦労をせずにその場所を見つけられました。
神社遺跡や石碑など、日本統治時代の遺構を探し歩く際、
何か惹きつけられる「力」を感じることは少なくありません。

台湾神社,日本統治時代,鎮座記念碑

石碑には「官弊大社 台湾神社鎮座紀念碑」とあり、
後方には「明治三十四年十月二十七日臺北衆紳民建之」とあります。
うち捨てられてはいるものの、保存状態は良好です。

それだけ忘れ去られていたということで、ちょっぴり淋しくなりますが・・

なお、この寺院は戦時中、皇民化運動に連動した形で総督府が行なった伝統宗教への弾圧を受けたという過去があります。
信仰を国家神道に一本化するべく、ここに祀られていた十八手觀音像を焼きうつ計画などを押し付けられたそうです(未遂に終わります)。
こういった宗教弾圧は戦時中、特に新竹州と台南州で数多く行なわれました。


竹林山観音寺のウェブサイト(中国語のみ)

今後、この石碑がどのような扱いを受けていくのか、気になるところです。
情報提供をしてくれたジョエルさん、CHOUさん、古庭維さん、ありがとうございました。

それにしてもすごい大雨でした・・・

台湾神社,台湾,日本統治時代,石碑
出自不明の狛犬(獅子)も一対残っています。


2013年8月19日(月曜日)

和美公学校校内神社狛犬

和美,神社,公学校,片倉佳史,戎光祥出版,祥伝社,狛犬

彰化県の和美国民小学。
日本統治時代に和美公学校として開設されました。
その校内神社の狛犬が今も残っています。
詳細は拙著『台湾に生きている日本』(祥伝社)で紹介させてもらいました。
ご興味のある方、どうぞご覧ください。


2013年8月12日(月曜日)

新刊『靖国神社のすべて』(宝島社)に記事を寄せています

       靖国,保安堂,霊聖堂,宝覚寺,義愛公,片倉佳史,宝島社

【拙著・拙稿から】

宝島社から出た新刊・別冊宝島『靖国神社のすべて』に記事を寄せています。
私は台湾現地レポートとして、

日本の英霊たちが今も祀られる台湾の廟と「神社」

というお題で4ページにわたって記事を書かせていただいています。


台湾の靖国神社?南天山済化堂

前半では、靖国神社から名簿提供を受け、
それに基づいて作成した位牌を安置している新竹県北埔郷の南天山済化宮を紹介しています。
これまでほとんど紹介されることがなかった場所なので、多くの方に見ていただければと思います。
ここには「軍魂霊位牌」と呼ばれるものが約3万、祀られています。
その中には、李登輝元総統のお兄様である李登欽氏のものもあります。

靖国,台湾,北埔,片倉佳史,宝島社,靖国神社,李登輝
位牌が並ぶ姿は圧巻です

次の見開きでは、台湾各地の日本人の霊を祀る廟を8箇所選んで紹介しています。

紅毛港保安堂 (「にっぽんぐんかん」と呼ばれる木製模型を祀っている)
鎮安堂飛虎将軍廟 (空中戦で戦死した日本人軍人・杉浦茂峰氏を祀っている)
獅頭山勧化堂 (部下に台湾へ戻ることを促し、自決した廣枝音右衛門氏の位牌がある)
日本軍魂廟 (ふさがれた防空壕の入口に「日の丸」が描かれている祠)
霊聖堂 (和服姿の日本人形がご神体として祀られている)
聖軍堂 (殉職した日台の兵士を合祀している)
寶覚禅寺 (日本人物故者と戦没者の霊骨が安置された仏教寺院)
戦争與和平紀念公園 (台湾籍老兵の存在を後世に伝えるべく、設けられた祈念公園)

保安堂,紅毛港,高雄,片倉佳史,にっぽんぐんかん
高雄にある保安堂。哨戒艇の模型がご神体になっています

ご興味のある方、どうぞお手にとってみてください。
蔡焜燦さんや李雪峰さんの寄稿もあります。
どうぞよろしくお願いいたします。

http://tkj.jp/book/?cd=20204901
宝島社のウェブサイト

軍魂,共和新村,東港,片倉佳史,
通称・日本軍魂廟と呼ばれる祠


2013年7月25日(木曜日)

神社遺跡調査の第一人者・高橋正己先生を訪問しました

       

台湾に残る神社遺跡研究の大先輩、高橋正己先生をお訪ねしてきました。
淡水のご自宅を家内と訪問し、たっぷり4時間、お話しをうかがってきました。

高橋先生は1976年から台湾に残された神社の遺跡状況を丹念に訪ね歩いてこられた方です。
東呉大学で日本語を教えつつ、各地の神社跡地を調査されてきました。
今回は当時の様子や状況、そして、取材・調査についてのエピソードについておうかがいしました。

私も日本統治時代の遺構について取材を続けていますが、
戒厳令下の台湾の社会状況というものは、どうしても全体像が掴みにくくなります。
当然、今とは全く比較にならないほど自由がない状態ですので、あらゆることに困難を伴います。
そういった部分のお話しがとりわけ強く印象に残りました。

当時の取材メモを見せていただきましたが、これがまた、非常に綿密なもので、
「ひたむきさ」がぎゅっと凝縮されているように思いました。

さらに、古書・古写真のコレクションと蔵書にも圧倒されました。
建功神社の内部や護国神社の鳥瞰図、阿里山神社の祭礼の様子など、
初めて見たものがたくさんありました。


基隆仙洞巌の様子(高橋先生所蔵)


阿里山神社例祭の様子(高橋先生所蔵)

最後に、取材・調査に向き合う姿勢というものを改めて考えました。
私の場合、どうしても日常の忙しさに振り回されてしまい、反省を繰り返す毎日なのですが、
改めて、気を引き締めて取材・執筆に勤しみたいと思いました。
とてもいい刺激を得たように思います。

高橋先生、ありがとうございました。


貴重なお話しをたくさんいただきました


2013年7月19日(金曜日)

台湾の「靖国神社」を訪問

新竹郊外の北埔にある南天山済化宮。
ここは靖国神社より名簿提供を受け、それに基づいた台湾籍戦没者の慰霊を行なっています。
高さ20センチほどの位牌が全部で三万近く、並んでいます。

この廟についてはあまり知られていませんが、
遺族の方は頻繁に訪れ、手を合わせているそうです。

南天山濟化宮
新竹県北埔郷南坑村3隣1之2号
03-580-1256


2013年6月21日(金曜日)

草山に残る神社の鳥居・清瀧神社

日本統治時代、草山(現称・陽明山)には山本義信という人物が所有する羽衣園がありました。
山本は海山郡(現新北市中和区一帯)にて炭鉱を経営し、後に板橋街長、台北州議会議員などを歴任した人物。
街長時代は地域の水道インフラの整備に尽力したほか、台北帝国大学(現国立台湾大学)に平戸ツツジを寄贈したことでも知られています。

園内には清瀧(きよたき)神社と呼ばれる私設祠がありました。
祭神に天照大神のほか、大国主神(おおくにぬしのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、
大山積神(おおやまづみのかみ)に加え、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)を祀っていたと言います。

     


2013年6月12日(水曜日)

屏東県東港、共和新村にある日本軍魂廟(日本神廟)

NNAの隔週連載「片倉佳史の台湾雑感」より。

本来は会員限定記事なので、期間限定公開とさせていただきます。

※現在、現地では「日本軍魂廟」と呼ばれることが多いようです(2015年3月)

共和新村,東港,台湾雑感,片倉佳史


2013年6月5日(水曜日)

台南の林デパートを見学

hayasi,林百貨店,台南,片倉佳史

台南を代表する百貨店を特別見学させていただきました。
林(はやし)デパートは長らく廃墟となっていましたが、修復工事が施され、ほぼ完成した状態になっています。
今後はどこがこの建物の委託経営の権利を取るか、6月中旬に実施される入札を待つばかりです。

今回の見学は私がご案内する「台湾200%満喫ツアー第五弾」のコースに組み込んだもので、
台湾の武徳殿研究の第一人者・陳信安老師の手はずで実現したものです。
私自身、大興奮状態で撮影をさせてもらいました。

屋上には稲荷神社の遺跡や空襲時の弾痕が残されています。

公開前の特別見学ということでしたが、
今後の動きに注目ですね。台南散策の楽しみが増えました。

片倉佳史


2013年4月24日(水曜日)

初代台中神社の遺構

NNAの隔週連載記事の142回目。
台中市内に残る神社の遺跡をご紹介しました。

台中神社,日本統治時代,台中,台中公園


2013年4月21日(日曜日)

「台湾200%満喫の旅vol.5 台湾南部編」のお知らせ

「台湾200%満喫の旅vol.5 台湾南部編」のお知らせ

5月31日〜6月3日に予定されている「台湾200%満喫ツアーvol.5」。
今回は「日本時代の絆を求めて」と題し、台南・高雄・屏東を巡ります。
全行程3泊4日、私がアレンジし、ご案内いたします。

今回のツアーのポイントは以下のとおりです。

◆知られざる八田技師の足跡をたどる
◆台南の人々に愛される庶民料理の世界を探検
◆飛虎将軍廟の信者に直接お話しをうかがう
◆マンゴーシャーベットを用いた特製かき氷を味わう
◆日本統治時代の軍人村を訪ねる
◆日本人形をご神体として祀る廟を訪問
◆パイワン族の長老にお会いする
◆神社の遺構もいくつか訪問します

現在も主催者である共栄ツアーズさんと細部を詰めています。
サプライズにご期待ください!

料金は成田発12万円、桃園合流8万9800円、台南合流の場合、7万9800円となります。
いずれもツイン利用です、現地合流の方もどうぞご参加ください。

ちょっぴり盛りだくさん過ぎる行程ですが、出し惜しみはしないというのがこのツアーのウリです(笑)
いずれも自力では行きにくい場所、訪ねにくいネタを考えています。

http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=1069
第一回・台南ツアーの様子(2012年6月)
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=1111
第三回・新竹ツアーの様子(2012年9月)

ご興味を感じていただける方、ぜひスケジュールを空けておいてください!
じっくりお話しできること、私も楽しみにしております。

お申し込み、お問い合わせは共栄ツアーズ杉本さんまで。
電話03-3868-2102  tour@nt-kyoei.jp


2013年3月31日(日曜日)

宜蘭神社遺跡

旧宜蘭神社遺跡。
皇民化運動の時期に創建され、
広い敷地を誇っていましたが、敗戦によって廃社。
戦後は長らく外省人兵士たちが不法バラックを建てて、
神苑を占拠していました。

現在、神苑は員山公園となっており、
神社跡には国民党政府が忠烈祠を建てていましたが、
現在は記念室になっています。

以前、『台湾 日本統治時代の歴史遺産を歩く』(戎光祥出版)の中で紹介したところ、
反響が大きく、驚かされました。

宜蘭神社,狛犬,忠烈祠,片倉佳史,戎光捗佝
中華風の装飾が施された鳥居が見えます


2012年12月17日(月曜日)

【原住民族集落探訪ツアーのお知らせ】

【原住民族集落探訪ツアー】

台湾の原住民族の集落を巡るツアー。
「片倉佳史氏と行く!プユマ族とパイワン族を訪ねる台湾4日間の旅」のお知らせです。

2013年2月1日(金)から4日(月)まで、「旅の漫遊」さんの企画で、台東付近を巡ります。
このツアーは全行程、私が同行し、プユマ族とパイワン族の集落をご案内します。
行ってはみたいけれど、なかなか行きにくかったりもする原住民族の村々。
まずは台北で夕食をとりながら、台湾原住民の全体像をお話しし、それから台東に向かいます。

移動中には歴史や地理、文化、言語、食事情などのほか、取材秘話もたくさんお話しできると思います。
お年寄りたちとの会話もたっぷり楽しんでいただきたいと思っています。

お申し込み、お問い合わせは「旅の漫遊」さんまでご連絡ください。
限定15名ですが、まだ少し余裕があるそうです。お会いできることを楽しみにしております。

http://www.manyou.biz/theme_list/minority+race.html
旅の漫遊、ウェブサイト


2012年9月24日(月曜日)

【増刷報告】 『台湾に生きている日本』(祥伝社)

【増刷のご報告】

おかげさまで、拙著『台湾に生きている日本』(祥伝社)の6回目の増刷が決まりました。
この場を借りて読者の皆様へお礼申し上げます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

片倉佳史

        祥伝社,片倉佳史


2012年9月17日(月曜日)

台湾200%満喫の旅第三弾・新竹ツアー、終えました。

台湾200%満喫の旅。第三弾・新竹ツアー。無事に終了しました。
おかげさまで定員いっぱいになってしまい、バスが少々きつかったかなと反省しています。

今回は新竹市の協力もあって、濃密な時間を過ごすことができました。
写真は新竹神社跡地をご案内している様子。

http://www.hccg.gov.tw/web/News?command=showDetail&postId=240335
「日本文史作家片倉佳史領16日本旅遊業人士推廣新竹市深度之旅」 新竹市政府のウェブサイト記事
ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
また、お会いできることを楽しみにしております!


2012年8月20日(月曜日)

『新竹漫遊・散策ハンドブック』、刷り上がりました

ご報告です。
このたび、新竹市政府の依頼を受け、「新竹漫遊・散策ハンドブック」という小冊子を手がけました。
家内との共同執筆で、全24ページの冊子です。
時間的な制約が非常に厳しく、完全なできばえではなかったのですが、
日本統治時代の歴史建築や遺構を多めに紹介してみました。

今刷り上がったばかりですが、無料配布される予定です。
追って詳細をお知らせいたします。

         


2012年7月29日(日曜日)

旧旭村遙拝所の石灯籠

台東市の郊外にある小さな神社の遺跡。

ここは日本統治時代、内地移民村として設けられた旭村の遙拝所。
近くには敷島村という村落もありましたが、こちらはかなり小規模な移民村でした。

初訪問は1997年夏。
当初、ここに神社があったことを全く知らず、付近を撮影していたら、石灯籠が突如現れて驚きました。

玉山社から出した拙著『台湾日治時代遺跡』で紹介した際、大きな反響があったのもいい思い出です。
時の流れの早さに驚かされます・・・


2012年7月15日(日曜日)

旧岡山神社の鳥居

高雄市岡山区の旧岡山神社の鳥居。
赤く塗られた鳥居が残っています。

神社そのものは廟になっていますが、
今も御神輿が残されています。


2012年5月27日(日曜日)

新竹神社の跡地を取材

日本統治時代の新竹神社跡地を取材してきました。
このたび、新竹市政府のご協力を得て、この場所を訪れたのですが、
ここは戦後、中華民国政府に接収され、「靖廬」と呼ばれる不法滞在者の収容所になっていました。
その関係で、立ち入りはもちろん、門の外でカメラをもってうろうろするだけでも監視の眼が光るという状態でした。
私も何度か取材申請を出したことがありましたが、却下されつづけてきました(涙)


社務所がほぼ完全に往年の姿を留めています

新竹神社は1918(大正7)年10月25日に鎮座を果たし、
翌々年には県社に昇格。1942(昭和17)年には国弊小社になっています。
戦後、中国からの密航者や不法入国者の収容所になっていましたが、
現政権の中国寄り政策の影響で、
現在は東南アジアからの不法入国者の収容施設になっているそうです。


拝殿・本殿跡は整地されていますが、石畳の部分が残っています。


本殿脇には見事に生い茂った黒松が!ちなみに新竹市の市樹は黒松です。


手水舎のあった場所


ちなみに手水鉢は郊外の青草湖の霊隠寺というところに移されています


絵馬殿兼ご休憩所だった建物はかなり傷んでいました

現在は新竹市の古蹟となっており、保存対象にはなっていますが、
やはり、厳しく閉ざされた空間です。

今回の取材はまさに15年越しの夢でした!
もうしわけないことに、所長さんまで出てこられ、敷地内を案内してくれました。
社務所・神楽殿のほか、石段や黒松の巨木などを見せていただきました。新竹市政府の皆さん、ありがとうございました!

なお、新竹神社の石灯籠は一部が市立動物園の中に移されています。
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=165


2011年9月13日(火曜日)

金瓜石の黄金神社遺跡

新北市瑞芳区にある金瓜石。
ここに残っている黄金(こがね)神社の遺跡です。
拝殿は柱だけが残っており、独特な風景となっています。
ここからの眺めは素晴らしく、今や景勝地になっています。


2011年9月9日(金曜日)

文山神社の手水舎

新店にあった旧文山神社。
その手水鉢がMRT新店駅近くの自来水事業所の敷地内にあります。
知られざる日本統治時代の遺構ですね。


2011年7月5日(火曜日)

宜蘭神社の神馬

宜蘭神社,神馬,台湾,神社

宜蘭神社の神馬は市内の文昌廟に移されています。
宜蘭神社は当初は宜蘭公園(中山公園)にありましたが、後に郊外へ遷座。
終戦後、神苑は外省人兵士たちが住みついて荒れ果てていました(現在の員山公園)。

神馬は信仰の対象になっています。
ただし、これが神社の神馬像だったことをしっている人は少ないようです。


2011年5月25日(水曜日)

忠烈祠に残る台湾護国神社の遺構

       台湾護国神社,神社遺跡

日本統治時代の台湾護国神社(現忠烈祠)の石灯籠が残っていました。
「あるらしい・・・」という情報は聞いていたのですが、具体的な状況は分からないままでした。
まさか遺構が残っているとは!

正直なところ、全くのノーマークの神社遺跡でした。
それだけに感動もひとしおです。

煩雑な仕事と執筆に苛まれる毎日ですが、こういった発見があると、また一日、生きていけそうです(笑)


2011年4月18日(月曜日)

明石元二郎墓地鳥居、自由時報の記事

本日4月18日の自由時報に明石元二郎総督墓地鳥居についての記事が出ています。
私もコメントさせていただいています。

http://www.libertytimes.com.tw/index.htm

ここは日本統治時代の共同墓地内にあり、
1997年頃に鳥居(明石墓地ともう一基←これも問題です)が228公園に移設されていました。
それが昨年11月にもとの場所(現林森公園)に戻され、その件は東京新聞の迫田記者と朝日新聞の村上記者が記事にしておられます。

今回、取材を受けたのは2点、

一点は現在、明石総督墓地鳥居の場所が本来の場所ではないということ。
若干ではあるのですが、あえて指摘しました。

http://inhelix.blogspot.com/2011/01/2.html
印海寺さんのブログ(墓地に関する貴重な資料が掲載されています)


1997年に撮影したカット←向きにご注目ください


もう一枚。スキャナーの調子が悪く、画質が・・・ 左手に鳥居が見えます。右手は墓地の台座です

二点目は小さな鳥居が鎌田正威秘書官のものであるという解説版の記事。
これは私自身、古写真などを目にしたことがなく、100%の確率ではないのですが、
民間人の墓地に鳥居をたてるということは考えにくく、やや疑わしいと思っています(※)。

台湾には明石元二郎総督墓地のほか、太魯閣峡谷に第五代台湾総督佐久間左馬太を記念した佐久間神社がありましたが、
両者とも陸軍大将という地位にあり、神格化されることはあり得る話しです。
小鳥居は第3代台湾総督乃木希典の母乃木寿子の墓地にあり、
乃木夫妻が自害した後、ご遺髪が合祀され、それを記念して昭和10年に鳥居が建てられたものと私は考えています。

私自身、確証があるわけではなく、真実を知りたいところです。
台北市文化局にも、古写真や文献があれば、公開してくださいとお願いしているところです。
昭和10年に小鳥居が建てられたのは事実なので、
昭和10年以降の鎌田秘書官の墓地、もしくは乃木母堂墓地の写真があれば、事実が判明します。

※→後日、早川友久氏の調査により、鎌田秘書官墓地の古写真がみつかり、小鳥居は鎌田氏墓地のものであると判明しました。


現在の様子、ガジュマルの樹の位置にご注目下さい


2011年4月15日(金曜日)

清水神社の遺跡

台湾中部、台中市清水区にある神社の遺跡です。
清水(きよみず)は日本統治時代以前から物資の集散地として栄え、
古くは牛罵頭と呼ばれていました。神社が設けられたのは1937年11月のこと。


狛犬が残っています

戦後、敷地は軍用地として中華民国に接収され、現在は公園になっています。
私が最初にここを訪れたのは今から約10年前。久しぶりの訪問ですが、きれいに整備されていました。


表参道は道路になっていますが、石段の続く裏参道は往時の姿を留めています


石灯籠の破片も見られました

日本統治時代の清水神社の様子は拙著『台湾風景印-台湾・駅スタンプと風景印の旅』(玉山社)をご覧下さい。

傍らには1935年に当地を襲った震災の記念碑がありますが、石碑部分は戦後、外省人(中国人)によってすり替えられています・・
台座のみ日本統治時代のものです。


2011年2月9日(水曜日)

台北に戻りました(東部取材)

日本から戻り、すぐ翌日から台湾東部の取材に行ってきました(涙)
実は「旧正月まで」と言われている菜の花畑の時期が終わってしまうということで、少々焦りがありました。
そして、菜の花が刈り取られた後は田植えが始まります。その前の「水鏡」の撮影も楽しんできました。
旅のパートナーは某大手出版社の辣腕編集者のsujitetsu先生です。


旧玉里神社の鳥居

瑞穂・玉里地区を訪れるのは結構久しぶりでした。
まずは、郷土料理の玉里麺を賞味。それから玉里神社の遺跡を訪ね、列車の撮影。
さらにハラワンという集落の神社を訪ねてから南安瀑布。そして、池上。

新刊『ワンテーマ指さし会話・台湾×鉄道』では盛り込めませんでしたが、
池上駅から徒歩5分の弁当博物館はなかなか凝っていました。本物の車両が置いてあります。

翌日は旧安通駅や旧東里駅を巡り、列車で瑞穂へ移動。
列車を撮影しながら、富源(旧称白川)へ。ここでも神社の遺跡を訪ね、夜は瑞穂温泉に投宿。


赤茶色の色合いが独特な瑞穂の温泉。かつてフジテレビの番組でも紹介しました

早朝は再度、鉄泉の湯を楽しみ、タロコ族の長老訪問。
戦前のタバコ乾燥小屋と古ポンプ、日本家屋を改造した民宿を取材後、紅葉温泉を久しぶりに訪問。
すすめられるままにもう一度入浴してから鈍行で花蓮へ。


瑞穂郷紅葉村(現地名エフナン)に残る戦前のタバコ乾燥小屋

かなり詰まった行程で、収穫は多かったものの、再取材は必至です。

今回は思わぬ訃報も数多く聞き、時間の流れを痛感させられました。
気を引き締めて調査に勤しみたいと思います。


2011年1月19日(水曜日)

拙著「台湾日治時代遺跡」の増刷分の刷り上がり

  片倉佳史,玉山社,台湾日治時代遺跡,日治時代遺跡

ご報告です。
台湾の玉山社から出した『台湾日治時代遺跡』の3回目の増刷が刷り上がりました。
地味ではありますが、なんとか増刷を迎えられています。

この場を借りてお礼申し上げます。

片倉佳史


2010年11月29日(月曜日)

明石元二郎総督墓地鳥居が元来の場所に戻る

明石元二郎

第七代台湾総督明石元二郎の墓地に設けられていた鳥居が元来の場所に戻りました。
場所は林森北路と南京東路の交差点にある緑地で、ここは日本統治時代、三板橋と呼ばれた共同墓地のあった場所。
明石総督の墓地もここに設けられていました。

戦後、中華民国国民党が統治者として台湾に君臨しますが、中国大陸から流れ込んできた下級兵士たちに墓地は占拠され、
バラックが無秩序に並ぶようになりました。この鳥居はその中に埋もれ、家屋の柱になっていました。

1996年、陳水扁市長時代に不法住宅は撤去され、公園になりましたが、鳥居は228公園(旧台北新公園)に移設されます。
そして、移設されてまもなく馬英九市長時代に入ってしまいます。
鳥居は撤去されるようなことはありませんでしたが、台北市文化局の意向で、案内や解説版は設けられず、
何の脈絡もない状態で公園の片隅に鳥居が置かれているという形になっていました(昨年、台北市ではなく、228公園の管理団体が解説板を設けていました)。

そして、今年11月中旬、突然、元来の三板橋共同墓地に戻されました。
この動きについては、当地の里長(町内会長)の強い意向があったそうですが、
どういうわけか、全くメディアに報道されないまま、鳥居の移設工事が行なわれました。

明石元二郎,台湾,台北

大きく繁茂したガジュマルが覆い被さるような勢いです。
なお、この脇の小さな鳥居は3代総督乃木希典の母堂墓地にあったもので、
1914(大正3)年3月には乃木夫妻の御遺髪が合祀され、鳥居が設けられました。
ただし、これは林森北路を挟んで西側にあったものです。

後日記;この小鳥居は鎌田正威秘書官墓地のものという事実が判明。謹んで訂正させていただきます(2011年4月20日)


2010年3月23日(火曜日)

林内神社の跡地

珍蝶ルリマダラの撮影に行ってはみたものの、見事に振られて意気消沈。
帰りに林内神社の遺構を訪ねてみました。
ここは1997年に初めて訪れましたが、その当時とあまり変化はありませんでした。

        
中国風の装飾が施された大鳥居にはイベントのバルーンアートが添えられていました。


拝殿や本殿は残っていませんが、狛犬は健在。愛嬌を振りまいています。


第二鳥居も健在ですが、やはり中国風の装飾が付けられてしまっています。


2010年3月22日(月曜日)

通宵神社の跡地を訪ねる

週末はルリマダラという珍蝶の撮影をするために、
雲林県に行っていました。

残念ながら、蝶の撮影は空振りに終わりましたが、
今回は新竹在住のYさんに車で案内していただいたため、
新竹から苗栗、台中、彰化と、日本統治時代の遺構を撮影しながらの取材となりました。

苗栗県通宵にある神社の遺跡です。
町並を見おろせる高台にありますが、
現在も鳥居や社務所、石灯籠などが残っています。
拝殿はなんと新たに造り直されています。

ここは古蹟の扱いを受けており、
「本来のあるべき姿に復元」というコンセプトなのだそうですが、
神社建築をまねてはいるものの、明らかに日本統治時代のものとは異なっています。
拝殿の上にはなんと、国民党の党徽が付いています。
石灯籠も新しいものが見えます。

社務所は日本統治時代の姿を留めています。
この国民党の党徽ですが、この神社遺跡が整備されたのが2001年頃。
当時はまだまだ国民党系の勢力が強く、意見を押し込められたと想像できますが、
これは当時の時代性を考えさせられますね。

最後に神社遺跡の上方にある望洋楼です。
石碑は「光復紀念碑」とありますが、これは戦後に改ざんされたもの。
ここはもともとは台湾海峡を航行するロシアの艦隊を監視するために
設けられたものでした。


2010年3月12日(金曜日)

和美国民学校の校内神社狛犬

彰化県和美鎮にある和美国民小学。
ここは日本統治時代の和美公学校(後に国民学校)ですが、
校内神社の狛犬が残されています。

詳しくは拙著『台湾に生きている日本』(祥伝社新書)をご覧いただきたいのですが、
保存状態は良好です。とても愛嬌のある顔をしていますね。


2009年12月9日(水曜日)

新城社の鳥居

太魯閣峡谷の入口に位置する新城。
ここにも神社がありました。現在、鳥居が3基残っています。
脇におかしな装飾が付けられていますが、鳥居そのものは変化がありません。
そのほか、狛犬や石灯籠などが残り、本殿跡にはマリア様が置かれています。
拙著『台湾土地・日本表情』(玉山社)でも紹介しましたが、かなり際だった雰囲気の神社遺跡です。


2009年12月2日(水曜日)

竹東の山神社

新竹県竹東にある神社の遺跡。
戦前、天然ガスの採掘で知られた竹東には別に神社がありましたが、
ここは工員の参拝用に設けられたもので、名前も単に「山神社」とだけ呼ばれていました。

ここを初めて訪れたのは1996年のこと。
拙著『台湾日治時代遺跡』(玉山社)、『台湾―日本統治時代の歴史遺産を歩く』(戎光祥出版)で紹介していますので、
よろしければ、こちらもご覧ください。


2009年11月16日(月曜日)

台湾の靖国神社、北埔の済化宮へ行ってきました

新竹県北埔郷にある南天山済化宮へ行ってきました。
ここは靖国神社の祀られている三万ほどの位牌を祀っており、台湾兵の英霊を慰めています。
今回は台湾協会の方々の車に同乗させていただき、訪問してきました。

私はここを初めて訪れたのですが、意外にも大きな廟で驚きました。
台湾兵の英霊が祀られているのは4階です。

位牌は三階に安置されています。管理人の謝さんによると、ここにあるのは27953体だそうです。

               

李登輝元総統のお兄様の位牌も見せていただきました。

熱心にご説明いただいた謝さん、ありがとうございました。


2009年10月21日(水曜日)

埔里の町を見おろす

台湾中部の小都市・埔里。
ここは台湾島の中央に位置し、「台湾のへそ」とも言われています。
その町並みを俯瞰するべく、虎頭山にやってきました。ここはかつて神社があった場所。
今も石灯籠の一部が残っています。10年前に来たときは転がっていただけで、発見したときの喜びは大きかったのですが、
今や立派な保存対象になっています。

埔里,片倉佳史
埔里の町並み

埔里,神社,能高神社,遺跡
石灯籠

なお、埔里にあった神社は能高神社を名乗り、石灯籠や狛犬は郊外の醒霊寺という寺院にも残っています。


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