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 ブログ 片倉佳史の台湾体験

2016年8月29日(月曜日)

電子書籍版『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年』

片倉佳史,古写真,台湾,日本統治時代,祥伝社

【拙著・拙稿】 

電子書籍版 『古写真が語る台湾 日本統治時代の50年』が刊行されました。
祥伝社から出た『古写真が語る台湾日本統治時代の50年』はおかげさまで先月3刷りになりましたが、
このたび、電子書籍版も刊行になりました。

本書は日本統治時代の古写真や絵はがきを1200枚用い、
往年の台湾を紹介した一冊ですが、サイズに限界があるので、電子書籍版は出ないのかというお問い合わせをたくさんいただいていました。

これを機に、より多くの方々に手にとってもらえたら・・・と思っています。
値段は少し安めに、1620円(税込み)に設定してもらいました。

https://www.paburi.com/paburi/bin/product.asp?pfid=20006-121105163-001-001

詳しくはこちらをご覧ください(購入もできます)

それではどうぞよろしくお願いいたします!

電子書籍,片倉佳史,台湾,祥伝社,日本統治時代


2016年7月28日(木曜日)

別冊正論に「台湾教育に命掛けた芝山巌の六士」の記事

別冊正論,片倉佳史,芝山巌,伊沢修二,獅頭山,日本統治時代,台湾,教育,伊藤博文,建成会

現在発売中の『別冊正論』に
「台湾教育に命掛けた芝山巌の六士」と題して記事を寄せています。

今回は芝山巌事件のみならず、
日本統治時代の教育や現在の台湾に今も息づく遺構などを13ページにわたって書いています。

片倉佳史,正論,台湾,歴史,六士先生,後藤新平

旧清水公学校の誠石や台北第一高等女学校の校訓碑、
三義の建中小学の奉安殿、台南の立人国民小学(旧寶公学校)、
金瓜石に残る台湾製の二宮尊徳像なども紹介しています。

機会のある方、どうぞお手に取ってみてください。
よろしくお願いいたします。

http://www.fujisan.co.jp/product/1281683701/new/
オフィシャルサイトはもちら

蛍の光,仰げば尊し,伊沢修二,台湾,歌詞,日本精神


2016年3月31日(木曜日)

宜蘭市に残る西郷廳憲徳政碑

西郷菊次郎にちなむ日本統治時代の遺構です。
現在は公園として周辺が整備されています。


2016年1月29日(金曜日)

【宜蘭県の魅力】 西郷庁憲徳政碑(NNA連載「片倉佳史の台湾雑感」)

NNA,片倉佳史,西郷菊次郎,宜蘭,徳政碑


2016年1月1日(金曜日)

新年のご挨拶 2016年元旦

今年もますます、盛り上がっていきたいですね!

片倉佳史,2016年,片倉真理,台湾


2014年3月17日(月曜日)

九ふんに残る招魂碑(NNA連載記事)

招魂碑,九ふん,金瓜石,石碑,NNA


2014年1月20日(月曜日)

弘法大師を祀る祠、北投探索

北投の郷土史研究家・楊さんを訪ねました。
今回は彼の月琴アートの展覧会に顔をだすために北投を訪ねたのですが、
急遽、お願いして弘法大師を祀った大師巌(大師岩)に行くことにしました。

大師岩,楊,台湾日治時代遺跡,玉山社

しかし、時はすでに5時を回っており、夕暮れが近づいています。
そこで延々と続く山道をなかば走るように「プチ登山」・・・。
ただでさえ足場が悪く、ハードな道のりをひたすら走り続ける苦しさ。まさにここ数年来のものでした・・。

歌碑,大師岩,弘法大師,北投

ここは『台湾 日本統治時代の歴史遺産を歩く』(戎光捗佝如砲函愨耋册治時代遺跡』(玉山社)で紹介していますが、
実に9年ぶりの訪問でした。
詳細は両拙著をご覧いただきたいのですが、日本統治時代の歌碑が残っています。

祠に安置されていた神像は戦後に盗まれてしまい、
私が最初に訪れた際は空洞でしたが、現在はチベット仏教の団体がちょっとした整備を施しています。

楊,丹鳳山,大師岩,文史工作室,Solo Singer
日本統治時代の石塊。徳島市、佐古町の文字あり

弘法大師,台湾,北投
現在は少し整備されています

ただ、行きにくいというのは以前と同じ。
特に真っ暗な中を帰る時の心もとなさは、まさに芥川龍之介『トロッコ』の良平のようでした(笑)

大師岩,楊,台湾日治時代遺跡,玉山社
「台湾よ永に幸あれ」と刻まれた石塊。

今回、楊さんに教えられて初めて見ましたが、「台湾よ 永に幸あれ」と刻まれた石塊。
詳細は不明ですが、興味が尽きない遺構でした。

ほとんど知られることのない歴史スポットですが、行けてよかったです。
もしここに行く場合は中和禅寺から丹鳳山の登山歩道をひたすら上がっていくルートをおすすめします。

弘法大師,台北,片倉佳史


2013年9月1日(日曜日)

台湾神社鎮座記念碑を訪問

台北郊外に残る台湾神社の鎮座記念碑。
昨日、友人から教えられた情報をもとに、台北郊外の新北市林口・竹林山觀音寺に行ってきました。
ここの廃物置き場に日本統治時代の石碑が残っています。

最初に駐車場脇の一角にうち捨てられた石燈籠を確認。
分解されてはいますが、明らかに日本式の燈籠です。
中には刻まれた文字の中に「昭和」とあるものもありました。
ただし、全体像は掴みにくく、今後の調査を要します。

台湾神社,林口,鎮座紀念碑

次に、台湾神社の鎮座記念碑を探します。
この石碑は神社遺跡の研究をしておられる金子展也氏の論考の中で記されていましたが、
なかなか時間を得られず、訪れることができませんでした。

また、8月29日に中国時報(電子版)にも、この石碑についての記事が出ました。
これについては何人かの友人から連絡をもらっていました。
そして、このたび友人の古庭維さんにお願いし、連れていっていただきました。

               

石碑は社殿後方の廃材置き場にありました。
この廟は敷地が非常に広く、全く検討がつかなかったのですが、
あまり苦労をせずにその場所を見つけられました。
神社遺跡や石碑など、日本統治時代の遺構を探し歩く際、
何か惹きつけられる「力」を感じることは少なくありません。

台湾神社,日本統治時代,鎮座記念碑

石碑には「官弊大社 台湾神社鎮座紀念碑」とあり、
後方には「明治三十四年十月二十七日臺北衆紳民建之」とあります。
うち捨てられてはいるものの、保存状態は良好です。

それだけ忘れ去られていたということで、ちょっぴり淋しくなりますが・・

なお、この寺院は戦時中、皇民化運動に連動した形で総督府が行なった伝統宗教への弾圧を受けたという過去があります。
信仰を国家神道に一本化するべく、ここに祀られていた十八手觀音像を焼きうつ計画などを押し付けられたそうです(未遂に終わります)。
こういった宗教弾圧は戦時中、特に新竹州と台南州で数多く行なわれました。


竹林山観音寺のウェブサイト(中国語のみ)

今後、この石碑がどのような扱いを受けていくのか、気になるところです。
情報提供をしてくれたジョエルさん、CHOUさん、古庭維さん、ありがとうございました。

それにしてもすごい大雨でした・・・

台湾神社,台湾,日本統治時代,石碑
出自不明の狛犬(獅子)も一対残っています。


2013年2月2日(土曜日)

旗山の太平寺に残る石塊

高雄郊外の旗山。

ここで知られざる日本統治時代の遺構に出会いました。

旧旗山神社のすぐ隣にあった真宗本願寺派太平寺。
その境内にあった石碑です。

定礎式の際に設けられたものですが、これがいったい何なのか?
保存状態は良好ですが、詳細は謎です。


2012年6月24日(日曜日)

台湾200%満喫の旅、烏山頭ダムへ行きました

   片倉佳史

『台湾200%満喫の旅』の3日目、烏山頭ダムでは八田與一技師をはじめ、
職員たちが暮らした宿舎群に住んでいたという老人を訪ね、お話しをうかがいながらダムへ向かいました。

ここでは嘉南水利会のご協力で、八田技師銅像の母型(おもがた)を特別に見せていただきました。
これはとても貴重な機会で、実現できてよかったと思います。
また、西拉雅国家風景区からはオリジナルDVDとキーホルダーをお土産にいただきました。


戒厳令下、八田技師の銅像を安置するのがどれほどのことだったか、考えさせられる遺構です

大雨が心配でしたが、なんと、烏山頭では青空も見えるほどでした。
私もここまでじっくりと八田技師や烏山頭ダムについてお話しする機会はほとんどなく、
地元の方々の思いや現在に受け継がれるストーリーなど、台湾の側から語られる八田技師についてお話しさせていただきました。

スケジュールが詰まってしまい、慌ただしい感じを否めませんでしたが、
烏山頭をあとにして、高鉄嘉義駅へ。往路と同様、グリーン車はやはり快適でした。
マンゴーの味比べに始まって、台湾史の現場、そして、日本統治時代の遺構。
密度の濃い一日だったのではないかと思います。

片倉


2012年2月13日(月曜日)

賀田金三郎の開拓記念碑

日本統治時代初期、台湾東部の開発に大きな功績のあった賀田金三郎。
先日、その遺族の方々にお会いする機会をいただきました。
貴重な文献・資料もお見せいただき、とても有意義なひとときでした。

          賀田村,賀田金三郎

画像は寿豊郷(かつての寿村)に今も残る開拓記念碑です。
盬水港製糖株式会社によって昭和15年に建てられたものです。

ここを最初に訪れたのは2004年のこと。かつて賀田村と呼ばれていたこの土地に何か遺構がないかと探していました。
何のあてもなく付近を回っていたのですが、何かに引きつけられるようにこの石碑に出会いました。

例に漏れず、戦後の国民党政権下、こういった遺構は光を浴びることなく遺棄されてきましたが、
現在は郷土史蹟の扱いを受けており、広くその存在が知られるようになっています。


2011年10月6日(木曜日)

山本義信氏の石碑

炭鉱経営でも知られていた旧板橋街長・山本義信氏の石碑。
現在は新北市によって古蹟として保存されています。

http://taiwantoday.tw/ct.asp?xItem=177493&ctNode=1898&mp=1001
中央社の報道(行政院新聞局のウェブニュースより)

なお、草山(現名・陽明山)の羽衣園跡には神社の鳥居も残っています。
また、台北帝大(現国立台湾大学)のツツジも山本氏の寄贈したものです。


2008年6月30日(月曜日)

北白川宮能久親王御舎営記念碑

基隆市内に残る日本統治時代の石碑。

旧基隆海関(税関)の脇に建碑されていた北白川宮能久親王御舎営記念碑です。
残念ながら、表も裏も碑陽は削られてしまい、
また、場所も通りからやや奥まっているので、わかりくいです。

ちなみに近衛師団は明治28年6月4日から9日までここに滞在し、
台北を目指したという記録が残っています。


2008年1月4日(金曜日)

吉野神社鎮座記念碑

花蓮県吉安郷はかつて吉野村と呼ばれる移民村でした。
ここには四国の吉野川流域の村々からの移民が多かったため、
「吉野」を名乗りました。

その神社跡地は何の痕跡も残っていませんが、
草むらの中を丹念に探してみると、鎮座記念碑が残っていました。
裏面には「明治45年6月8日」と刻まれています。


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